■ 羽鳥光俊氏プロフィール
羽鳥光俊氏は1963年東京大学工学部電気工学科卒業、1968年同大学院博士課程修了、工博。同年東京大学工学部講師、1969年同助教授、1986年同教授、1999年国立情報学研究所教授、2004年中央大学理工学部教授。専門分野は通信工学、放送工学。
1998年映像情報メディア学会会長、2002年電子情報通信学会会長。電子情報通信学会名誉員、映像情報メディア学会名誉会員、IEEEライフフェロー。東京大学名誉教授、国立情報学研究所名誉教授。2005年電波監理審議会会長。情報通信審議会委員、郵政省・総務省の審議会委員、通信工学・放送工学に関する研究会委員・委員会委員を歴任。
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「マルチメディア時代の放送の在り方に関する懇談会」(渡辺文雄氏が座長、月尾嘉男氏が起草委員会委員長/専門委員会主査)1994年5月、ハイビジョン放送などをテーマに、江川放送行政局長の私的懇談会、が設けられた。
1995年3月の報告書では、ハイビジョン放送が最大の焦点であるBSのデジタル化の導入時期については放送事業者やメーカの「従来通り2007年以降のBS-5で」との意見と、通信事業者や研究者を中心とした「できるだけ早く1999年BS-4後発機で」という主張の両論が併記された。
「電気通信技術審議会、デジタル放送システム委員会」(安田靖彦先生が委員長、筆者が委員長代理)が1994年7月に設けられた。
1994年10月の第2回委員会において、「12GHz帯(BSデジタル放送)および12.5GHz帯(CSデジタル放送)の衛星放送は可能な限り共通の技術方式とすることがのぞまれるが、12GHz帯では、デジタル方式の導入などの技術進歩を受けたチャンネルプランの見直しが1997年を目途に国際的に論議中であることから、12GHz帯については新しい伝送条件「1トラポン当たりの帯域幅を27MHzから33MHzに広める」への対応の余地を残す」と修正された旨の報告があった。27MHz→33MHzに帯域幅を広める可能性は、後に述べる1トラポン2デジタルハイビジョン放送の実現に大きな朗報であった。
CSデジタル放送、BSデジタル放送の技術基準を作る過程で、MPEG-2のデモの見学を郵政省が大々的に催してくれた。NHK技研、NTT横須賀通研、KDD研究所、アスキー研究所、日電、富士通、三菱電機、ソニー松下電器、日本テレビ、TBS、フジテレビなどを見学させていただいた。CSデジタル放送のデモを中心に見学させていただいたが、MPEG-2デジタルハイビジョンとMUSEアナログハイビジョンの画質比較のデモも見学させていただいた。
「1996年5月13日電波監理審議会会長猪瀬博先生のヒアリング」「BS-4後発機においてデジタルハイビジョン放送を行うことを、1年かけて検討することに賛成か」というヒヤリングに招かれた。(通常の電波監理審議会のヒアリングは、公募があって意見書を提出し、会長ではなく審理官がヒアリングを行う。今回は公募でなく、電波監理審議会会長のご指名で、NHK、松下電器、そして筆者の3名にヒアリングがあった。審理官ではなく電波監理審議会会長が直接ヒアリングするという異例のヒアリングであった。NHK、松下電器、そして筆者はMPEG-2デジタルハイビジョンに慎重な意見を述べていた3者であった)
1995年末頃までは、MUSE方式と同じ27MHzで、すなわち、1トラポン当たり1チャンネルのMPEG-2デジタルハイビジョン放送を行うことが出来るかという議論であったが、1995年秋、NHK技研が三菱電機に発注したMPEG-2デジタルハイビジョンエンコーダは、動き補償を計算するDSPの進歩で、1トラポン当たり2チャンネルのMPEG-2デジタルハイビジョン放送を行うことが出来そうだという極めて大きな進歩があったと聞き、事実であれば、MUSEハイビジョンを支持していた意見を変え、MPEG-2デジタルハイビジョンを支持したいと考えていた、まさにそのタイミングでのヒアリングへの招きであった。
1996年5月、日独情報技術フォーラムという国際会議に出席するため滞在していたミュンヘン郊外のクロスターゼーオンのホテルにヒアリングへの招きの国際電話を電波監理審議会事務局から頂戴した。会議に出席されていたNHK技研の山田宰氏を通じて、NHK技研の新しいエンコーダの実験を見せていただいた上で、MPEG-2デジタルハイビジョンに前向きに答えたいとお願いし、11日に帰国、12日は日曜日であったが特別にNHK技研の実験を見せていただき、1トラポンで2チャンネルのデジタルハイビジョン放送を行うことが出来るとの確信を強め、13日のヒアリングに臨んだ。
①MPEG-2のエンコーダの進歩で、1トラポンあたり2チャンネルのMPEG-2デジタルハイビジョン放送ができる可能性がある。
②12GHz帯衛星放送については、デジタル方式の導入を可能とするため、27MHz→33MHzに帯域幅を広めるチャンネルプランの国際調整が1997年を目途に進められていると聞くが、33MHzの帯域幅があれば、1トラポンあたり2チャンネルのMPEG-2デジタルハイビジョン放送が実現できる可能性が極めて高い。33MHzの帯域幅があっても、1トラポンあたり2チャンネルのMUSEハイビジョン放送を行うことは困難である。
③したがって、BS-4後発機において、デジタルハイビジョン放送を行うことを、1年かけて検討することに賛成すると答えた。
「放送のデジタル化の進展」1996年7月、「衛星デジタル放送技術検討会」(筆者が座長)が発足した。1996年11月、NHK会長、川口幹夫氏の定例記者会見で、来年の電波監理審議会の結論が決まるまでは、「MUSEハイビジョン放送という既定の方針で行きたい」と発言された。「電波監理審議会の結論が出ればデジタルハイビジョン放送に協力する」と筆者は解釈した。1996年12月、「2000年頃にはBS-4後発機で、1トラポンで2チャンネルのデジタルハイビジョン放送が可能になる」という報告書をまとめた。
1996年10月、「BS-4後発機検討会」(座長は香西泰氏、筆者は構成員)が発足し、1997年2月「BS-4後発機ではデジタルハイビジョンを中心にすることが適当」とする報告書をまとめた。
1997年5月、電波監理審議会は「BSデジタルハイビジョンの2000年導入は適当」と答申した。
1997年、BSデジタル放送のトラポンの周波数帯域幅は、国際調整の結果、27MHzから33MHzにひろげられた。
BSデジタル放送の技術基準、地上デジタル放送の技術基準の答申も順調に行われた。MPEG-2デジタルハイビジョンエンコーダの進歩により、地上デジタル放送についても、6MHzの帯域幅で、衛星デジタル放送より多少画質は劣るものの、十分な画質で1チャンネルのMPEG-2デジタルハイビジョン放送を行うことが可能となった。(さらに画質を落とせば、6MHzの帯域幅で2チャンネルのMPEG-2デジタルハイビジョン放送を行うことが可能となった)
2000年12月に衛星デジタルハイビジョン放送が、2003年12月地上デジタルハイビジョン放送が、2006年4月ワンセグ放送が開始され、2011年7月サイマル放送されていたBSアナログ放送、地上アナログ放送が停波し、デジタル放送の時代に移行した。
■読後の感想
我が国の地上テレビジョン放送のデジタル化は2011年7月の地上アナログ放送の停波をもって完成した。放送界にとって大きな変革をもたらしたデジタル化でありますが、その初期において衛星放送のMUSEアナログハイビジョンか、MPEG-2デジタルハイビジョンかを巡る大論争があったことが、このコラムでは生々しく描かれています。
猪瀬博先生のデジタル路線に対する終始一貫したぶれないお気持ちや、最後は小異を捨てて大同につかれるまでの羽鳥先生の苦衷は如何ばかりであったかと思い知ることができました。
本コラムの内容は放送の歴史を飾る1ページとして永久に語り継がれるものと思いますが、羽鳥先生のデジタル路線支持へのご英断に対して心より拍手を送りたいと思います。(田中記)