はじめまして。簡単に私の自己紹介をさせていただきます。モバイル通信会社に勤務しており、入社して20年の中堅クラスで、数年前から10人強のチームを率いるマネージャーをしています。
若輩者で僭越ではありますが、現役世代の一人として、私が経験したエピソードとシニアの方々への期待について書かせていただきます。
最初に、私が経験したエピソードをご紹介させていただきます。
私は前職まで入社以来一貫して法人営業に携わってきました。入社10年を過ぎたころ、突然当時の執行役員の直下で仕事をすることになり、全ての決裁において、課長/部長を承認フローにいれずに直接執行役員の承認をえなければならなくなりました。それまでは、役員は雲の上の存在で、組織長ですら直接話をする機会など稀有でしたので、それは驚きの連続で戸惑いました。
しばらく経って、当時担当していたお客様から見積額の値引き要請があり、それ程大きな取引ではなく利益も出ていたので、安易な気持ちで損益計算書のみを持ってその役員に説明に行ったところ、こっぴどく怒鳴られました。「君は営業だからお客様のためというが、私は経営側の人間だ!この私が納得できるような資料を作成してから出直して来い!」そして、その役員はこう付け加えました。「君が作成した資料で起案した決裁を私が承認した時点で、この案件の責任は私にあって君にはない。」
このエピソードは後の社会人生活を変える契機になったのですが、理由は2つあります。1つは、経営側の思考を肌で感じることができたため、お客様の前では私自身が会社の代表だということを強く意識するようになりました。2つめは「責任の所在」を明確にされたことで、逆にこの役員に恥をかかせるわけにはいかないという意識が働き、起案する案件のメリットやリスクを多角的に分析し、意思決定の妥当性を検証する習慣が身に付きました。
これらを実践することで、現場で意思決定できるケースが増え、お客様からの信頼も増してその後の業績は飛躍的に向上しました。今思うと、役員が私を直下において指導したのは、「会社の歯車として働くのではなく、自らが歯車を動かす力になれ!」というメッセージを込めた“荒療治”だったのでしょう。
次に、シニアの方への期待について述べさせていただきます。
最近自己研鑚であるリーダーシップスクールで学んでいるのですが、そこでイギリスの経済学者ケインズのこの言葉を知りました。
”It is much more important how to be good rather than how to do good”
「いかに善をなすか(to do good)」ということよりも「いかに善であるか(to be good)」ということのほうが大切であるという意味です。
最初は「to do good」からスタートして徐々に自分を修めて「to be good」を目指すべく自分を成長させるということです。つまり、責任ある立場になればなるほど“人徳者”でなければならないという意味です。
この言葉に私は目から鱗でした。部下をもって組織を引っ張る立場になれば、リーダーシップを発揮して組織として最大の成果を出すことが求められます。部下の能力を最大限に発揮させるには、指示・指導するだけでなく、自らが“人徳者”になる必要があります。私利私欲をなくし、「to do good」を実践しながら「to be good」を目指して“徳”を積んでいくことが重要なのですが、私たちにはこうした経験が少なく、「to be good」の領域に達するには時間がかかります。そこで、様々な分野でリーダーとしてご活躍されたシニアの皆さまの経験こそが、私たちにとって貴重なお手本となります。社会が変わっても、基本的に人間の目指すべき本質的なものは変わりません。
「論語」にもこんな記述があります。
子曰く、「学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。」
いにしえの良き教えを学びそれをいつも実践する、それこそ喜びである。
いつの時代も真理は普遍です。シニアの皆さんから私たち現役世代が真理を学ぶ機会を頂けると幸いです。