第1回
〜 アメリカ映画タイトル邦訳の傑作 〜
スクリーン憧子

 100年近い大いなる歴史を重ねた映画の世界、誰もがこれまで見た映画の中で、ある時は大いに感動し、笑い、喜び、悲しみ、時には憎しみさえ覚え、そしてある時は主人公達に心からの愛情や憧れの気持ちを抱いたことがあるでしょう。

 長い時間をかけて多くの映画を観てきました。時代の証言者のような作品があり、将来を予言するような洞察力のある映画も、夢と冒険の世界に誘いこみ心豊かにさせてくれたもの、映画の世界は様々な魅力に満ち私たちの心を奪ってやみません。テーマの面白さ、俳優の魅力、監督の主張、脚本家の見事な構成、撮影者の高い技術、音楽の楽しさ・・・等々その切り口は無限です。最近は鑑賞用ソフトが豊富に提供され古い映画でもすぐ見れるようになったことは大変ありがたく、感謝しながら往年の名作を鑑賞しておりますが映画への興味が一層膨らむこの頃です。

さて、かなり前に日本で公開される外国映画は元々どういう原題だったのか?・・・という疑問を持ち始め、好きな映画や過去の人気作品などを調べてみたことがありました。これが結構面白く、どんどん対象が拡がって現在もまだ進行中です。

この度映画に関して発表の機会をいただきましたのでこの「原題」(特にアメリカ映画)と「邦題」の対比を行い紹介したいと思います。同様の関心をお持ちの方がいらっしゃれば幸いです。

アメリカンニューシネマの草分けとされる「俺たちに明日はない」の原題は「Bonnie and Clyde」(1967年)でした。“ボニーとクライド”という主人公の名前を並べただけのものです。ベトナム戦争以後のアメリカが大きく方向転換した頃の作品でこの年の12月にはTime 誌がこの映画を特別に報道した程の社会現象にもなった映画でした。同じくニューシネマの傑作「明日に向かって撃て!」の原題は「Butch Cassidy and the Sundance Kid」(1969年)で“ブッチ・キャシディーとサンダンス・キッド”、これも主人公二人の名前を並べただけのもの、つまり日本ではこの二作品の題名は完全に原題を離れ超訳されたものが通用していることになります。

大西洋横断無着陸飛行を最初に行ったリンドバーグを描いた映画の原題は「The Spirit of St. Louis」(1957年)で、これは“セントルイス魂”という彼の愛機の名前ですが日本公開時の映画のタイトルには「翼よ!あれが巴里の灯だ」という素晴らしい邦題が付けられています。邦題名付け親の活躍例はまだまだ続きます。1939年に作成されたジョン・フォード監督、西部劇の名作「駅馬車」は「Stagecoach」という原題でした。この作品に心から惚れ込み何とか日本での興行を成功させようと邦題の名付けに苦労したのはあの有名な淀川長治さんでした。まだ駅馬車という概念がない時にこの映画に最もふさわしい邦題は何かということで淀川さん本人が随分悩んだと語っておられます。その苦心の作の「駅馬車」という邦題は彼が初めて日本語の中に持ち込んだ名前なのですが映画史上に残る傑作にふさわしい命名だったと思います。

邦題の傑作はまだ続きます。エリザベス・テーラーが主演した「雨の朝パリに死す」という作品がありました。初めて聞いたときなんとロマンティックな題名だろうと思い、映画を見てみたいという気持ちが喚起されます。ところが原題は「The Last Time I Saw Paris」(1954年)で“最後にパリを見た時”という余りインパクトのある題名ではありません。よほど詩心がなければ出てこない命名と思います。

西部劇の傑作に「決断の3時10分」というのがあります。最初は1957年に作成され最近2007年にもラッセル・クロー主演で同名で再映画化されました。再映画名も原題も全く同一で原題は「3:10 to Yuma」です。“ユマ行き3時10分”というこれまた何の変哲もない感じです。でも邦題を見ると映画ファンには、え!何を決断するの?何で3時10分なの?・・・と興味をそそられますね。うまい名付けだと思います。

私がこれまで観てきたところでは邦題の見事な例は1970年頃まででそれ以後は余り見られません。映画産業を担っていた人たちがタイトルの名付けという場面で最も力を入れていた、人材も豊富な頃だった時代かと思います。

ところが反対に、名付けのまずさ・下手な例もありまして映画ファンにとっては残念なことです。

例示します。「情婦」という裁判劇をご存知でしょうか?1957年作成、名匠ビリー・ワイルダーがマレーネ・ディートリッヒ、タイロン・パワーの夫婦にチャールス・ロートンの判事を配したもので原題は「Witness for the Prosecution」“検察側の証人”というものでした。緻密な構成と鮮やかなどんでん返しを備えたこの名画に「情婦」などという命名は全く意味がないものと思い残念でなりません。

もう一つの例「アラバマ物語」という映画をご存知と思います。1962年の作品、グレゴリー・ペックが主演してアカデミー主演男優賞を獲得した作品です。原題は「To Kill a Mockingbird」“ものまね鳥を殺すには”というものです。実は最近の映画関連の話題で「アメリカ映画100年のヒーロー」という報道がありこれまでの映画で最もヒーローにふさわしいのは誰か、投票を行ったそうです。結果は西部劇でもインディ・ジョーンズでもジェームズ・ボンドでもなくこの「アラバマ物語」でグレゴリー・ペックが演じたアティカス弁護士でした。実話に基づいており、人種差別の激しい南部アラバマ州で異常な雰囲気の中、正当に黒人青年を弁護した弁護士がトップに選ばれるところにアメリカの良心を感じました。

でも原題にたいする邦題名付けには工夫が足りないようです。「To Kill a Mockingbird」には“弱い立場の人の身になって考える”という思想背景があるそうですのでもう少し考えた名付けがあって良かったのかと思います。この映画のファンにはそういう不満が今もあることをネットで知りました。

もっともこの名前で半世紀も生きてきた映画ですから名前そのものがその映画を表明している訳でこれでいいのでしょう。映画の顔であるタイトルの面白さと難しさを感じます。

<スクリーン憧子>

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