舞台も花のヴェローナで、
いずれ劣らぬ名門の、
仇と仇の両家より生まれ出でたる
不運の二人、
愛し合いつつ命を絶ちて
血をもて両家の怨みを断てり
これまで映画化された4作品ともに語り部のこの予告で幕が開けられる。第1作から第4作までこの部分はシェークスピアの原文のまま語られ、ナレーターはその時代のトップスターが担ってきた。
第2作(1954年作)ではジョン・ギールグット、第3作(1968年作)ではローレンス・オリビエが登場したが共に名高いシェークスピア俳優である。
特に第3作では開幕の序章と、悲劇の終章で静かな語り口で流れるのは名優ローレンス・オリビエであると解説書で知った。ところが画面タイトルを隅々まで探してもどこにも彼の名は表示されていなかった。これはシェークスピア劇の最高峰とされるローレンス・オリビエの矜恃であると私は推測する。
第四作(1996年米国作)は舞台をアメリカ・フロリダに置いた現代劇のため冒頭のこの語りはテレビ画面からのアナウンサーの声で告げられている。
今回シェークスピアのあまりにも有名なこの物語を映画という媒体を通して語る機会をいただき、1936年の第一作から1996年まで60年の間に制作された映画4作品を自分なりに十分鑑賞して投稿に備えたつもりである。
「ロミオとジュリエット」劇をこれまで私的には長大な、かなりの時の経過の中で繰り広げられる悲劇という印象を持っていたが驚くことに実は僅か七日間の物語であった。
若い二人の純真、苛烈な愛が両家の因習と対立、抗争の中で潰えていく七日間の激動のドラマなのである。まず日を追ってその経過を表わしてみたい。
1.ロミオとジュリエット物語の七日間
一日目、広場で両家衝突、夜の舞踏会でロミオとジュリエットの運命の出会い
平素から反目しているキャピュレット家とモンタギュー両家の一団がヴェローナ市の広場で出会い、ささいな言葉のやり取りから小競り合いとなり遂には両家の大団が加わった争いに発展し死者まで出てしまった。すぐさま現場に駆け付けたヴェローナ大公はこれで三度目となる衝突の責任を両家の家長に厳しく問うた。
そして即座に「今後騒乱を引き起こした者は直ちに死罪を申し付ける」との布令を出し、キャピュレット、モンタギューの両家長を別々に出頭するよう命じた。
その夜はキャピュレット家の邸宅で盛大な仮面舞踏会が行われることになっていた。もちろんモンタギューはお断りのはずだが若者の好奇心と「仮面をつけてりゃ大丈夫」という心理も働きロミオの一行はこの舞踏会に侵入する。ロミオ自身は気乗りしなかったが来同した。運命の出会いが待っていることを知るはずもなくである。
各作品ともこの日の舞踏会のシーンには時間をかけ、衣装・振付に贅を尽くし華麗さと荘重さを備えた圧巻の場面を作り出している。
舞踏会で短い時間だが初めて会った二人は運命的な激しく真摯な愛情を抱く。一目で恋におちた二人だったが、その直後に自分たちが相対立する両家の男女であることを知り愕然とする。だがそのしがらみは二人を遠ざけるものではなくかえって燃え上がらせるものであった。この時ジュリエットのいとこであるティボルトは目ざとくロミオに気付き彼をその場で撃退せんとするが家長キャピュレットに強く諭され断念する。しかし遺恨を残した。
ジュリエットのいる館を去りがたく、ロミオは仲間から外れただ一人キャピュレット邸をジュリエットの姿を求めさまよいようやく彼女がたたずむバルコニーの下にたどり着く。
ジュリエットもまた今日初めて出会って電撃のように我が身を襲い、すぐにそれが許されぬしがらみを持った相手と分ったもののその追慕はつのるのみで湧き上がる想いを抑えきれず夜のとばりの中で誰もいないはずの暗闇に向かって心の内を吐露する。
ああ、ロミオよ
なぜあなたはロミオなの?
父上も名前もどうぞお捨てになって、
それが無理なら
私への愛を誓って・・・、
私もキャピュレットを捨てます
私の敵はあなたの名前だけ、
たかが名前如きよ
バラが名前を変えても
香りは同じ
ロミオがロミオと呼ばれなくても
生来の尊さはどうしたって残るわ、
ロミオ、名前を捨てて・・・
あなたのものでもないのだから、
代りに私のすべてを、・・・
黙っているつもりだったロミオは感極まって応える。
『そのお言葉、受け取りました』・・・と、
誰もいないと思っていたジュリエットは驚き、「夜の闇に隠れて人の話を立ち聞きするなんて、あなたはだれ?」と問う。
「愛の力に導かれ来てしまいました・・」とロミオは侵入の許しを乞うた。
ジュリエットは声の相手にすぐ気付き、
あなたの声は百と聞かずとも 耳が思い出します
段々と言葉が二人の気持をほぐし、話の内容も現実と夢の間を行き来して二人は時のたつのを忘れひそやかに愛を確かめながら感情を高ぶらせていった。
やがて夜明けも近くなったころ、心去りがたくむつまじい笑いを交わす中で、いよいよ、
ジュリエットの真情が表される。
今度こそお別れ、
もし結婚してくださるなら
明日使いを出します
式の日取りをご返事ください
私はあなたのもの
世界の果てまでお供いたします
二日目、二人だけの結婚式、親友の横死、ロミオが復讐の殺人、そして追放される
歓喜のロミオが真先に訪れたのはロレンス神父である。朝、教会の庭で日課とする草摘みを行うロレンス神父が大地や太陽、草木、生命への愛情と賛歌を唱えながら草を摘む姿はこの物語の中で最も平和で心安らぐシーンであった。
ロレンス神父は対立する両家に分け隔てなく接し双方から厚い信頼を受けている。ロミオは真先にロレンス神父に、ジュリエットとの結婚を急ぐことを打ち明けた。
最初は若気の至りと取り合わず対立する両家の者同士の結婚に危惧を抱いたロレンス神父だったがロミオの真剣さを見、ロミオを介してジュリエットの心情も知ったとき、「もしかしてこの結婚が縁となり両家の怨念が消え、誠の愛に代わるかもしれぬ。宿命の対立を続ける両家の和解とヴェローナの平和を築く礎になるかもしれぬ」という考えがロレンス神父に湧き上がった。
その期待を込め困難な中で二人が結婚することに賛成し自らもこれから生ずるであろう障害に立ち向かおうと決意した。
大きなターニングポイントでありこのロレンス神父の存在と決断が物語を築き上げる鍵になるのである。
ジュリエットの使者として乳母は供を連れ広場を訪れた。ロミオの友人たちは好人物ではあるが好奇心いっぱいのいたずら心も持っておりジュリエットの使いとも知らずこの年増の使者をからかうシーンは凄まじい。スカートをめくるわ、ショールを引っ張るわで、際限なくはやし立てた。彼女が「ロミオさまはどこに?」と訊ねた時には最高潮に達し「年増女が若い男を買いに来た」とまで騒ぎ出した。乳母が怒り心頭に達したのは当然である。
シェークスピアがまさかこんな品のない若者を描くのか、と思わせるほどの描写が続くが乳母は怒りを納め自らの役割を果たすためロミオに一言きつく注意する。
「お嬢様はまだ若い。もしいい加減な気持ちでたぶらかすお積りなら承知しませんよ・・・」と。「誓って否定します」と固く約束するロミオに乳母は好感を抱いた。
ロミオはロレンス神父の介助で今日ジュリエットとの結婚をとり行うことを乳母に告げ乳母は安心してキャピュレット家に戻る。
待ち焦がれていたジュリエットが乳母に結果を尋ねると意外な冷たい返事、「疲れました」、「腰が痛くて大変でした」、「息が上がって言葉が出ません」。
ジュリエットがイライラして「大事な用事なんだから早く教えて」といえば「おや、ではこれからはご自分でお行きあそばせ」とつれない態度、これは乳母のいたずら心からくるじらしである。
程なく乳母は、「今日は教会に行くことは許されていますか?」とジュリエットに訊ねる。うなずくジュリエットに乳母はにっこり微笑んで「ロレンス神父に会いなさい。あなたの夫になる方がそこで待っていますよ」と告げた。
ロミオとジュリエットの結婚式、というよりロレンス神父によって二人の結婚を認めるだけの簡素な儀式が行われた。モンタギュー家の付き添いはなくキャピュレット家は乳母一人が立会するという寂しいものだった。
二人の結婚に同意するとき将来の多難さを予測したロレンス神父は二人への祝福と同時に「激しい喜びは終わりを全うせず、勝利のさなかに命を落とすものだ。火と火薬が触れ合い吹き飛ぶのと似ている。愛はすべからく適度に、生命の長い愛であるように・・・」という警告も忘れなかった。
簡素な挙式の後キャピュレット家の自室で幸せいっぱいでロミオの入室を待つジュリエットの初々しさがいじらしい。まだジュリエットの両親やキャピュレット家から認められていないためロミオがジュリエットの部屋に入るためにはバルコニーに縄梯子が用意された。
だが運命は大きくうねりを変えていた。広場にはロミオの親友マキューシオとベンヴォーリオがいたがベンヴォーリオの不吉な予感のとおり敵方キャピュレット家のティボルトの一行が広場に現れる。
目ざとくマキューシオを見つけたティボルトはマキューシオをからかい挑発する。返す言葉で逆にティボルトを挑発するマキューシオ、穏健派のベンヴォーリオは二人を争いから避けようと必死になるが最早その望みも潰えたかに見えたそのとき結婚式を終えてすぐのロミオが広場に現れた。一人だが足取りも軽く嬉々としている。
ティボルトはロミオの到来を見て現下の相手であるマキューシオに「君が相手ではない、そこのロミオが今日の相手なのだ」と告げる。
ティボルトは前夜のキャピュレット家の舞踏会に侵入していたロミオに制裁を加えるつもりでいたがその機到来とばかりロミオに矛先を向けるが不用意に口にした一言がマキューシオの好戦気質に火をつけた。
マキューシオは売られた喧嘩の始末をつけるべくティボルトに挑戦するがティボルトはあくまでロミオへの恨みを晴らすべくロミオをその相手に指名する。
だがロミオの言葉は意外にも穏やかで「キャピュレットは自分に大事な存在であり君も愛さなければならないんだ。その理由は後でわかる。」と告げる。
その言葉にティボルトは面食らうがそれよりマキューシオはロミオの態度と言葉に許されない軟弱さと屈辱を感じた。マキューシオは再び剣を抜きティボルトとの切り合いを始めてしまう。
ロミオが「やめろ、怒りを抑えろ、街中での喧嘩禁止は大公からの厳命ではないか」とマキューシオを止めたときティボルトの剣先がマキューシオの胸を貫いた。
呻きながらよろめくマキューシオ、ここでシェークスピアは剛毅で皮肉屋のマキューシオの口から痛みと死の恐怖を皮肉とあざけりの断末魔の言葉として放たせている。
「ほんのかすり傷だ」、「井戸ほど深くなく、教会の扉ほど広くもないが命には届いている」、「明日来てみたら墓場にいるぞ」、「ウジ虫のえさになっているだろう」、そして最後に「両家ともくたばれ!」と最大のののしりを発して息絶える。
まさかの展開でマキューシオを死に至らせたティボルトは仲間と一斉に退散する。
だが親友マキューシオの死という事態にロミオは我を忘れる。穏やかに対話して、非戦の姿勢だった己を恥じロミオは狂気のようにティボルトの名を叫びながら猛然とその後を追った。
ロミオの憤怒の剣先は戦い上手とうわさされていたティボルトを斃した。だがその瞬間ロミオはつい昨日大公により言い渡された禁制の騒乱を引き起した犯罪者となってしまったのである。
現場に急派されたヴェローナ大公は事の顛末を調べる。まず最初から行動を共にしていたベンヴォーリオが証言しロミオは穏やかに仲裁しようとしていたことを証言するがキャピュレット夫人はモンタギューの一派の証言など信頼できず、ロミオはティボルトの殺害に死をもって償うべきと泣きながら訴えた。
モンタギュー側はロミオの親友であったマキューシオを殺したティボルトへの復讐という正当な行為と擁護する。
大公はマキューシオを殺害したティボルトをロミオが自ら制裁したという廉で死刑ではなくヴェローナ市からの追放を言い渡した。
一方結婚したばかりのジュリエットは何も知らずやがて訪れるはずのロミオをバルコニーから招く縄梯子を準備し、新妻の浮き立つ気分で待っていた。
そこへ広場での一部始終を知る乳母がやってくる。「ばあや、何かいい話?」とにこやかに訊ねるジュリエットだが乳母の話はロミオがティボルトを殺しヴェローナからの追放という裁きを受けたという暗澹たるものだった。
一転暗黒の中に投げ込まれたジュリエットは最初感情的にロミオを呪う。「花の顔に隠れた毒蛇の心、天使のような悪魔、甘い顔して実は独裁者・・・。ばあや、どうしたらいいの?」と救いを求めた。だがジュリエットが悲嘆にくれてロミオを非難する姿に同調してロミオを責めたてる乳母の姿を見てジュリエットは理性を取り戻す。
「結婚して3時間しかたっていない私、でも私が守らねば私の夫を誰が守るの?」と。
乳母はロミオがロレンス神父のところにいると推測しこれから自分がロミオに会いに行くと告げる。愛のしるしにジュリエットは指輪を託す。
指輪を預かりロミオが身を寄せているロレンス神父のところへ着くや否や乳母に、「ジュリエットはどうしてるか?」必死の思いで聞くロミオ、「ただ泣いておられます」、「ティボルトの名を呼びロミオと叫んでは倒れ込んでおられます・・・」と乳母が伝える。
ヴェローナ大公の裁きが追放だと聞かされ「ジュリエットに逢えない追放の身になる位ならは死を選ぶ」と短剣を自らに向けるロミオを見てロレンス神父は激しい言葉で怒り諭した。
「ロミオが死ねばジュリエットも死ぬではないか・・・」、「人を殺していながら死罪を科されず追放となったことに恩義を感じよ」、「生きていれば何とかなる、生きよ・・・」と。
ロレンス神父は「今夜はジュリエットの所に行きなさい。ただし、朝になったら見回りが来る前にヴェローナを出ていくんだ」・・・とロミオに言い渡した。
ジュリエットもロミオが死罪を免れ追放となったことをせめてもの幸せと考えた。
密かにキャプレット家に向かいジュリエットの部屋を訪ねるロミオ、涙で出迎えたジュリエットと二人きりの初めての夜を迎えた。二人が会っているのを知っているのはロレンス神父と乳母の二人だけである
三日目、朝の別れ、パリス伯爵と結婚を急ぐ両親、ロレンス神父決死の作戦
朝、別れを惜しむ二人、別れの時を少しでも伸ばしたい二人は朝の到来を認めようとしない。外で鳴いている鳥は朝を告げるヒバリでなく夜に鳴くナイチンゲールだと言い、日が差し始めたのは月あかりがマンチュア行きの道を照らすためだと信じ込もうとした。だが紛れもなく朝は来た。
夜明けと同時にジュリエットの母が来室することを乳母が急告し、最後の一瞬まで別れを惜しみ手紙を約束する二人だった。ジュリエットは去り行くロミオを見ながら一種不吉な予感を感じる。ロミオに死の影を見たのだった。
母はにこやかにジュリエットに朗報を持ってきたと言う。それは父がパリス伯爵との婚礼を次の木曜日に行うよう手配したことを告げるものだった。
ジュリエットとロミオのことを何も知らない両親にとっては仲の良かった従兄弟のティボルトの死という悲しい思いを早く忘れさせるためジュリエットの環境を急いで変えようとの親心である。
パリス伯爵はこの時キャピュレット家を訪問中で、ジュリエットの悲嘆を推し量って早い挙式には躊躇していた。しかしジュリエットの両親から強く勧められたのと祝宴を少人数の内輪だけで行うという両親の配慮を受け入れジュリエットとの結婚を受け入れ2日後の木曜日の挙式を喜んで受け入れた。
ジュリエットは従兄弟のティボルトの横死はロミオが犯したのだと彼を責めたが新妻として健気にロミオを愛し守ろうと葛藤する。
もがき苦しむジュリエットには両親の計らいは苦痛でしかなかった。パリス伯爵との急な結婚を強く拒絶する。せめてもっと後に延ばせないかと願うが母は激怒し、すぐ後に入室した父はこれを聞きさらに怒り狂った。
「こんな立派な相手との良縁を与えたのに文句があるならもう娘とも思わぬ。」、あげくの果ては「家を出て野垂れ死にしてしまえ」、「財産など絶対分けてやらぬとそう思え」という壮絶な言葉であった。
取り縋るジュリエットを突き飛ばし、とりなす乳母にも「ババアは仲間の所で話してこい」とまで言い切る父。
泣き崩れるジュリエットは、すがる思いで乳母に助けを求める。しかしついさっきまで激怒する父と泣き叫ぶジュリエットの間に入ってジュリエットをかばっていた乳母の答えは驚くほど打算的な忠告だった。
曰く、「パリス伯爵様と結婚なさい。それが幸せです。ロミオはもう価値のないぼろ布のような男、世を忍びながら会うような結婚をしてどうしますか?」、「今度の結婚では必ず幸せになりますよ・・・」と。
最早身内に味方をなくしたジュリエットは「教会に行って懴悔する」と伝えロレンス神父の下へ走る。
昨日結婚式に立ち会ってくれたばかりのロレンス神父に悲劇の花嫁になって再会せねばならないジュリエットだった。
「一緒に泣いてください・・・」。ロレンスの部屋に駆け込んだジュリエットはパリス伯爵との結婚を延期してくれるようロレンスに迫る。
「どうにもできないんだ」というロレンス神父、「神父様は私たちの心と手を結んでくださいました。あの人に重ねたこの手が別の誓いを結ぶような裏切りはできません。神に誓ったこの手で再び別の誓いをするくらいなら今ここで死にます。」とさえ口走り短剣を抜いて死ぬ覚悟のジュリエット。
ロレンス神父は事態がここまで危機に瀕している状況を見てなすすべもないと思ったが死をも恐れぬジュリエットの姿を見て起死回生のしかし危険な作戦を思いつく。
「命を絶つ覚悟があるならたった一つだが望みがないわけではない」と言いジュリエットにその内容を話す。
「両親にはパリスと結婚すると言いなさい。」そして「この毒薬を渡すから明日の夜飲みなさい。飲めばたちまち死んだと同様の姿になっていく。呼吸も脈も止まり体温は下がり死者と同じ姿になる。だが42時間すればさわやかなほどの心地で目覚めることが出来る。その時刻にジュリエットは霊廟に死者として納められている訳だから自分とロミオが一緒にジュリエットを救出しよう」、「一旦はロミオと共にマンチェスに身を隠しなさい。頃合いを見て自分が両家にこの結婚を伝え、認めさせるようにする・・・」という筋書きだった。
「明日はいつも一緒に寝る乳母を避けて一人で寝る事」と、「マンチェスに追放中のロミオには自分が手紙で内容を伝える」というものだった。
一旦死んですべてを無にしたうえ墓場で生き返ったところを救出し再度やり直すという危険極まりない方法だが他に道はない。
ジュリエットは即座にこの案を受け入れロレンス神父から毒入りの小瓶を受け取って退出した。ロレンス神父も覚悟を決めた。
帰宅したジュリエットを見て乳母は「お嬢様が笑顔でお帰りになりました」と両親に伝える。ジュリエットは完全に本心と異なる内容を両親に告げた。「ロレンス神父に諭されました。」としてパリスとの結婚を承諾すると両親に告げたのである。
ロレンス神父はすぐさまロミオ宛てに仔細を告げる手紙をしたため教会の僧ジョンを呼び翌朝までにマンチェスにいるロミオへ渡すよう命じた。
四日目、挙式準備に賑わうキャピュレット家、夜ジュリエットの服毒
ジュリエットの結婚式用の晴れ着や挙式の準備で忙しいキャピュレット家、両親と乳母の嬉々とした姿があった。
パリスも訪問し未だ涙顔で傷心のジュリエットを慰めいたわる。「美しい顔が涙で台無しですよ」。対するジュリエット「これが生まれつきの顔です。もともと醜いのです」。
夜ロレンス神父が命じた通り乳母を遠ざけ訪れた母にも今夜は一人で懴悔したいと言い一人になるが襲い来る恐怖におののくジュリエットだった。
墓場で起こるかもしれない先祖の霊との出会いや葛藤、ロミオに復讐せんと霊廟をさまようティボルトの姿を想像し、果てはロレンス神父が自分たちを秘密に結婚させたことを隠すため毒薬で自分を殺そうと企んでいるのではないかとさえ疑ったり、いやあの高徳の方がそんなことをするはずはない、と否定したり・・・心は千々に乱れた。
そして健気に「最後の舞台は自分で演じなければならない」と決心し毒をあおる。ベッドに倒れ込むジュリエット。
五日目、ジュリエットの死
いつまでも起きてこないジュリエットを家長キャピュレットの命で乳母は起しに行く。そこで発見されたのは一夜で変わり果てたジュリエットの死んだ姿だった。
ジュリエットはやがて蘇生するのであるが誰もそれを知る由もなくキャピュレット家の一同は悲嘆に暮れた。一家は喪に服しジュリエットの亡骸は長い列を作って霊廟へと向かって進んで行く。その葬列を見て驚いたのはロミオの従僕であるバルサザーだった。
バルサザーはロミオのヴェローナ追放後もその身辺世話のためロミオとマンチェスで行動を共にしていた。
ロミオは約束通りジュリエットへの手紙を書きバルサザーに託した。バルサザーはジュリエットへこの手紙を届けるためヴェローナへ戻ってきたのである。
葬列の主がジュリエットであることを見て驚くバルサザー、彼は一刻も早くこの弔事をロミオへ報告すべくマンチェスへ馬を飛ばして引き返す。
一方、ロレンス神父からロミオへの手紙もまた思わぬ事態を迎え届けることができなかった。僧ジョンはマンチェスに入るとすぐ町の主婦に呼び止められ急な要求を受ける。余命いくばくもないその女の夫が神父に祈りを捧げてもらうよう願っておりすぐお出で願いたいというものだった。
いくらか医療の心得がある僧ジョンは一目見るなりこの男がペスト患者だと分かった。「疫病のペストだ」というや否や取り巻いていた住人に伝わり「ペストだ、ペストだ」と騒ぎだし騒然となる。役人がすぐさま駆け付け有無を言わさず入り口の戸を全て閉鎖し釘付けしてしまった。
「大事な手紙を届けなければならないんだ。開けろ」というジョンの叫びはペストの恐怖におののく住人には無駄であり僧ジョンはここで動けなくなってしまう。
六日目、ジュリエットの後を追う覚悟でヴェローナへ還るロミオ、パリス伯爵と決闘、ロミオの死、後を追うジュリエット
朝、ジュリエットの夢から覚め、バルサザーを迎えるロミオ。「ジュリエットはどうだ?元気でさえいてくれたら他は何も要らぬ」という問いに、「ご遺体は霊場に置かれ、み霊は天使と共にあります。」とのバルサザーの言葉。事態を知ったロミオは「運命の星よ、受けて立つぞ!」と呻く。
「ジュリエット、今宵は共に眠ろう」と意を決したロミオ。主の姿にただならぬ気配を感じたバルサザーは「お考え直しを・・・」と懇願するがもはや動かぬと知りロミオの命に従い父への手紙を書く準備の手伝いと出立の馬の手配を行った。
その間ロミオは予て知っていた薬屋で店主に強力な毒薬を売るよう要求したが「そのような毒薬を持ってはおります。しかし売れば死罪に処せられます」と断られる。
ロミオは「売るのは君ではない。私が売るのだ」と言い「それでは私の心ではなく貧しさがお買いいたします」という店主との会話を残し毒薬を手に入れる。
その日のうちにヴェローナに到着すべく二人は馬を飛ばす。目立たぬ夜陰に霊場に入る目的である。
キャピュレット家の霊場に着くとロミオはバルサザーに金を与えこれまでの孝に謝意を表明しその場での別れを言い渡した。最後までの世話をと願うバルサザーを強く制しロミオは単独になる。バルサザーは同意したが主のため物陰に体を潜めた。
霊場に人が訪れた。パリス伯爵である。ジュリエットへの思慕去りがたくパリスは霊場のジュリエットに花を手向けようと訪れたのであった。入り口で侵入を企てるロミオを発見してパリスが怒り心頭に達するのは当然だった。
「モンタギューめ、死んでからまで侮辱しに来たのか?成敗してくれる」とロミオに言い渡した。
「死ぬために来たのだ。どうかこれ以上人を殺させないで引き下がってくれ。狂った人間に救われたということが後でわかるだろう」と説くが分かってくれるはずはなく双方剣を抜いた。死の覚悟をしたロミオが又も人を殺すことになりパリスはロミオの剣にかかって絶命した。
漸く霊廟に入り安置所に横たわっているジュリエットに向かい惜別を述べるロミオ、
愛しい人、我が妻よ
死は息の蜜を吸いつくしたが
君の美には手をかけぬ
征服には至らず
唇と頬は赤く染まり
美しさの旗を立て
死神の蒼白い旗はいまだ届かず
ジュリエット、僕はここにいる
闇の館を2度と離れない
ここがついの住み家だ
不吉な星のくびきは外し
血に飢えた世と分れる
唇よ最後のキスだ
腕よ最後の抱擁だ
毒をあおりその強力な作用でロミオは崩れ落ち、死んだ。
ロレンス神父が現れる。ようやくマンチェスから帰還した使いの僧ジョンから手紙がロミオに届かなかったことを聞いたロレンスは不吉な予感がしていた。案の定ジュリエットの安置所に着いたロレンスは霊廟の入り口でパリスの死を知り安置所で既に絶命しジュリエットの下で横たわっているロミオを発見する。
そこへ42時間が過ぎたジュリエットが覚醒する。「神父様、私のロミオさまはどこに?」と真先に訊ねるジュリエット。「人間の力の及ばぬ不運の連鎖で我々の計画は挫折しました」と告げる神父。
「もはやここには居れませぬ、はやく出ましょう。」という神父に「嫌です」と答えジュリエットはロミオにすがり寄る。毒薬の瓶を見つけ「ひどい人、私の分は一滴も残してないのね」と、そこへ見張りの者たちの声、最早これまでとジュリエットは手にした短剣に「わが胸はお前の鞘」と叫び胸に突き刺し、息絶えた。
「キャピュレット家の人を起せ」、「大公に伝えろ」、「モンタギュー家もだ」深夜の見張りの者たちが状況を見て次々に関係者の名をあげていく。
七日目、ヴェローナ大公の慨嘆、真相究明、両家の和解、エピローグ
ロミオとジュリエットの二人の遺体は教会の床に並んで眠っている。言葉もなく立ち尽くす両家の家長夫妻とその従者たち、そして夜警に捕らえられたロレンス神父のほかロミオの従者バルサザー、そしてパリスの従者もいた。
ヴェローナ大公はこの事態に至った真相を明かすのが第一と考え関係する者たちの釈明を求める。ロレンス神父が真先に申し出た。
彼は自分が二人の結婚をさせた事、その日に広場の事件でロミオがティボルトを殺め追放の身となってしまい、事情を知らぬ両親からパリス伯爵との結婚を強いられたジュリエットは悩み死の覚悟をしたが自分の考えで眠り薬によって仮死をさせ救出しようとした。しかしロミオへの知らせが届かずジュリエットが死んだと思ったロミオが殉死したことの経緯を説明した。
従者バルサザーもまたロミオが父親へ書いた手紙を大公に見せロレンス神父が述べた事の真実を裏付けた。
すべてを理解し二人の純粋で神聖な結婚を讃えるヴェローナ大公。歩み寄り和解を誓う両家の家長たち。
キャピュレット「モンタギュー殿、手を取りましょう。死をもって娘が教えてくれました」
モンタギュー「私はご令嬢ジュリエット様の姿を黄金の像にいたします。ヴェローナが続くかぎり貞節な妻として人々は認めてくれるでしょう。」終章が告げられる。
悲しみに閉ざされた和解の朝
太陽もその姿を消していた
世に数ある悲劇の中で
ロミオとジュリエットの物語に勝るものはない
2.四作品の特徴: 製作年と監督・俳優
名だたるシェークスピアの古典名作であり、映画化に携わった人々の尽力に感謝しつつ鑑賞した。同じ原作を基にしていても映画化された時代によって要求が異なり、また製作者の意図によってその作品の内容も相違する。過去の4作品を何度もつぶさに鑑賞、観察し本稿に備えた。時代の要求、製作者の構想がそれぞれの作品に生命と個性を与え4作品共に力作である。
製作順 | 第1回作品 | 第2回作品 | 第3回作品 | 第4回作品 |
製作年 | 1936 | 1954 | 1968 | 1996 |
原題名 | Romeo and Juliet | Romeo and Juliet | Romeo and Juliet | Romeo + Juliet |
監督 | ジョージ・キューカー | レナート・カステラーニ | フランコ・ゼフィレッリ | バズ・ラーマン |
ロミオ役 | レスリー・ハワード | ローレンス・ハーベイ | レナード・ホワイティング | レオナルド・ディカプリオ |
出演時の年齢 | 43 | 26 | 16 | 22 |
ジュリエット役 | ノーマ・シアラ | スーザン・シェントール | オリビア・ハッセー | クレア・デインズ |
出演時の年齢 | 34 | 20 | 15 | 17 |
製作年 | |
---|---|
第1回作品 | 1936 |
第2回作品 | 1954 |
第3回作品 | 1968 |
第4回作品 | 1996 |
原題名 | |
第1回作品 | Romeo and Juliet |
第2回作品 | Romeo and Juliet |
第3回作品 | Romeo and Juliet |
第4回作品 | Romeo + Juliet |
監督 | |
第1回作品 | ジョージ・キューカー |
第2回作品 | レナート・カステラーニ |
第3回作品 | フランコ・ゼフィレッリ |
第4回作品 | バズ・ラーマン |
ロミオ役 | |
第1回作品 | レスリー・ハワード |
第2回作品 | ローレンス・ハーベイ |
第3回作品 | レナード・ホワイティング |
第4回作品 | レオナルド・ディカプリオ |
出演時の年齢 | |
第1回作品 | 43 |
第2回作品 | 26 |
第3回作品 | 16 |
第4回作品 | 22 |
ジュリエット役 | |
第1回作品 | ノーマ・シアラ |
第2回作品 | スーザン・シェントール |
第3回作品 | オリビア・ハッセー |
第4回作品 | クレア・デインズ |
出演時の年齢 | |
第1回作品 | 34 |
第2回作品 | 20 |
第3回作品 | 15 |
第4回作品 | 17 |
(1)第1回作品(1936年-昭和11年作) ジョージ・キューカー監督
ジョージ・キューカー監督は「若草物語(1933年)」、「ガス燈(1944年)」、「スター誕生(1954年)」はじめ、「マイフェアレディー(1964年)」、など名作を世に送り女優に新しい個性と才能を発揮・開花させた例は数多くあり配役には常に冒険的だった。
しかしこの作品ではロミオにレスリー・ハワード、ジュリエットにノーマ・シアラという実績ある俳優を選定している。
ロミオ役のレスリー・ハワードは出演時43才、ジュリエット役のノーマ・シアラが34才、さらにロミオの親友で強い個性を発揮するマキューシオ役を演じるライオネル・バリモアは既に50歳を超えていた。
原作が描く青春群像との年齢はかけ離れており、他の3作品のロミオとジュリエットが20代、10代の新人で演じられたのと比べれば、キューカー監督のねらいは舞台劇としての完成度の高さを求める事だったと考えるべきである。
それは例えば最後のジュリエットとの別れのシーンで自ら冷厳な死を迎えようとするロミオの振る舞いの中に老練な様式美が感じられた。
また、ジュリエットを務めたノーマ・シアラは4作品中33才という最高齢の出演乍らジュリエットのはつらつとした若さと純真さを見事に表現している。
中でも圧巻はロミオとの愛を守るためロレンス神父から渡された毒を飲み、仮死状態を42時間続けて周囲を欺き、その後蘇生し救出されるという命がけの危険を冒さねばならないとき服毒を行う前に恐怖にかられ悩む姿である。
本当に思い通りに事が運ぶのか、もし救出される予定の時間より早く蘇生した時、霊廟の中にいる自分が暗黒の死者の世界にさまよう亡霊たちと一緒に過ごせるだろうかと怖れおののく場面、果てはこの計画の立案者ロレンス神父がロミオと自分の結婚を秘密裡に進めたことの発覚を恐れて自分を殺そうとしているのではないか・・・とまで疑い、「あの高徳の方がそんなことはしない」と否定したり揺れ動く。
しかし「最後は一人で演じ切らなければならない」と決意するシーンはさすがの実力ある女優の迫真の表現力であった。この間4分以上独演し、眼に泪をたたえ鬼気迫る演技でジュリエットになりきっている。
1936年作品の特徴はシェークスピアが最も描きたかったであろう二人の死の悲劇の後、両家の和解が実現するまで最後半を忠実に表現しているところである。
ロミオがジュリエットの死を知り自らも霊廟でジュリエットと運命を共にするための毒薬をマンチュアの薬屋に買いに行き貧しい薬屋と交わす痛烈にして、悲観的世界観の会話を原作通りの内容で登場させた。
また両家の家長が手を取り合って我が子たちの不幸を悼み相手を讃え永年の宿怨からの宥和を誓うクライマックスシーンが原作通りに描かれ4作品の中で最も共感できた。
(2)第2回作品(1954年-昭和29年作) レナート・カステラーニ監督
ロミオ役のローレンス・ハーベイはその後も映画界で長く活躍した名優である。一方ジュリエット役のスーザン・シェントールはジュリエットの可憐さと若妻の愛と貞節を渾身の力で表現しているがこの一作で映画界を去った。
つまり生涯で唯一の出演作であるがそこで発揮された表現力と内に備わった魅力を見るにつけ早い退場が惜しまれる。
彼女はジュリエットの可憐さを初々しく表現すると共に、仮借ない試練に耐える強さも同時に表現した。
レナート・カステリーニ監督が余程懇切に指導したこともあるだろうが哀楽両極端の場面に彼女の天性の表現力が窺える。
例えば結婚後嬉々としてロミオを待つジュリエットに「従兄弟のティボルトがロミオによって殺され、そのロミオが追放の裁きを受けた」という驚天動地の出来事が乳母から伝えられたとき、すぐにはロミオを非難するが乳母が我が夫ロミオを痛烈に非難し始めると目が覚めたように「私が擁護せねば誰が夫を守るの?」と涙でぐしゃぐしゃの顔になって決心、擁護するときの姿は気高く愛らしい。
また、すでに心はロミオで占められていた時ロミオとのことを何も知らない両親が親心からパリス伯爵との結婚を急ぐとき両親にロミオと秘密裡に結婚したという本当のことを言えずひたすら「まだ結婚したくない」、「少しでも延ばして下さい」と懇願する哀れさや、事情を知っているロレンス神父に「貴方が立ち会って重ねたこの手を何故他の人と重ねることが出来ますか?我が夫を守るのは妻の務めです」という場面などは彼女の魅力が最高に現れる場面であった。
本作品でロミオの最後は毒を飲むのでなく短剣で自らを刺し命を絶つと描写しているがこれは原作と異なっている。
また、乳母(名優フローラ・ロブソン)がベッドでジュリエットが死んでいるのを発見する前、ベッド横にある小瓶に気付き取り上げるが何も行動を起さない。これは服毒を察知した乳母が自分の関与を疑われないように証拠隠滅したと私は推測するが、他の3作品にはこの小瓶のシーンは出てこない。
ロレンス神父は霊廟でロミオの死を知りジュリエットの蘇生を見た後なすすべなく立ち尽くしているが原作では最後の場面で登場しヴェローナ大公に二人の結婚のいきさつと自らの関与を説明し大公はじめ衆人への理解を与える重要な役割を持つに拘わらず存在が薄い。
この説明がないままキャピュレット家とモンタギュー両家が手を取り合って和解するというラストは不自然で、さらに怨念を深めると考えられるのが普通ではなかろうか。
ストーリーの構成に疑問を抱かせるところである。
1954年、ヴェネツィアグランプリ受賞の評価を得た。
(3)第3回作品(1968年-昭和43年作) フランコ・ゼフィレツリ監督
3回目作品は興行的に最も注目され人気を得ている。17才のレナード・ホワイティングをロミオ(原作のロミオは17才)に、15才のオリビア・ハッシーをジュリエット(原作では14才)役に抜擢しニーノ・ロータの主題歌が世界を駆け巡る大ヒット曲となった。
ロミオとジュリエットを取り巻く友人、縁者たちも存在感豊かな演者がそろいロミオの敵役でジュリエットのいとこであるティボルトを演じるマイケル・ヨークやロミオの親友でティボルトに斃されるマキューシオ役も作品にインパクトを与える強い個性を表わしている。瀕死の重傷を負いながら笑いのめし、毒づいて死んでいくマキューシオの姿は悲壮感がある。
更に、マキューシオの死に激高したロミオが本来は勝ち目がないティボルトに決死の対決を挑む格闘シーンは4作品中最も迫真に満ち、その結果が招来する悲劇のインパクトを強化していると感じられた。
悲劇が憎悪を生み憎悪が新たな悲劇を作り出すという運命の展開が最もダイナミックに表現されているのはこの第3回作品である。
手持ちカメラや斬新なカメラワークを駆使して厳粛な古典の世界に、生き生きとした躍動感を作り上げたと伝えられている。
だが他作品に比べ肝要なシーンが存在せずシェークスピアの原作に忠実さを欠いていることは否めない。例えば、
・ロミオが毒薬を入手する場面がないのに服毒で命を絶つという表現は疑問を残す
・ロレンス神父からロミオへの手紙がペスト騒ぎで遅れるシーンがない上に運ぶ僧ジョンには急ぐ様子が無い。ロレンス神父が手紙の重要さを知らせていないから動きが緩慢。ジュリエットの死を聞きマンチェスからヴェローナへ早馬を飛ばすロミオとすれ違いマンチェスに向かうという間の抜けた場面になっている。
・パリス伯爵が最後に霊場に現れずロミオとの決闘がない。・・・原作の重要なエピソードを映画化の際省略することはあり得る。もしロレンス神父がロミオの服毒死の前に間に合って現れ、ジュリエットがそこで蘇生したらパリスの悲劇が大騒ぎになるから省略しても良いという映画解説者の意見もある。(解説者阿部十三氏)
・シェークスピアの原作では若い二人の死によって両家の不和が解消され両家の家長が手を取り合って和解する姿が描かれるがこの映画にはそのシーンがなく辛うじて最終の字幕の後方で両家の弔い人たちが手をとったり抱き合ったりするのが表現されるが遅きに失しており表現も弱い。
・霊廟内にロミオが入るとティボルトの遺体がジュリエットの近くにいたり過去の死者が半ばミイラ化した状態で何体も表現されショックを与える構成になっているが他の3作と比べ相違点や省略が多いのはゼフィレツリ監督の本作品に求めるものがサスペンス多用のロマンス物語ではないかと推測した。
アカデミー賞;撮影、衣装部門を受賞
(4)第4回作品(1996年-平成8年作) バズ・ラーマン監督
舞台を現代に代えアメリカ・フロリダを舞台にするという斬新な企画だったが古典の名作を容易に現代に置き換えられるものかと論議を呼ぶことにもなった。
原作に忠実であろうとすれば現代劇化が困難になる場面もある。例えば通信手段で電話を使えば済むところをわざわざ手紙で伝えようとするところは不自然の感あり。
しかし何といってもこの作品の主眼はレオナルド・ディカプリオをロミオ役に抜擢したところにある。彼の出世作「タイタニック(1997年)」の1年前、人気上昇中のディカプリオに白羽の矢が立った。
その期待に応えディカプリオは鮮烈に若者・ロミオ像を創り出しこの作品を支えている。親友マキューシオを殺したティボルトとの決死の対決へ向かう車中のロミオが狂気のように相手の名を絶叫するシーンや、ジュリエットの死を知らされた時、襲いかかる運命・天に向かって“受けて立つ!”と宣言し“ジュリエット”と空に向かって絶叫するシーンなど並みの若手の領域を超えたディカプリオの卓越した表現力があった。
この第4作目での注目はロレンス神父である。ロミオに対する慈愛と包容力が溢れ、迷い、絶望するロミオをある時は励ましある時は完膚なきまでに罵倒し困難な状況を乗り切る強さを引き出す大きな存在となっている。それは先行した3作品とは異なる存在感ある神父像を創り出した。ピート・ポストレスウェイトが見事に演じている。
ただ理解できない問題点や、無理な構成をしているところが以下の数か所ある。
①ヴェローナ警察署長が現場でロミオをヴェローナから追放するという裁きを言い渡すところは現代のアメリカでは有り得ず不自然である。警察は容疑者を摘発するが裁きは司法に委ねるのが当然。
②ジュリエットが毒薬を飲み通常の死と同じ状態を継続し蘇るまでの時間を24時間としているが他の3作品は全て42時間となっておりシェークスピア原作も42時間であるという不一致がある。
③ジュリエットが服毒して死んだと判断する場面はロレンス神父がジュリエットの眸を見て確認し、「晴着を着せて葬儀場へ」と指示するが現代アメリカなら若く健康だった女性が急死した場合蘇生処置を施し死後は厳重な調査が行われるのが自然である。他の3作品は原作のとおりの時代設定であるから理解できるものの本作品の場合この拙速な死亡判断と葬送措置は不自然。
④本作品ではロミオとジュリエットの悲劇の死が両家の対立を終わらせたという大義が物語の主題でありシェークスピアが描く主テーマであるが映画の冒頭に一言触れたのみで終章に和睦が描かれていない。これは作品の存在価値さえも危うくする重大要素の逸失ではないだろうかと考える。
他の3作品との違いは最後の二人の死の場面でロミオが毒をあおる寸前にジュリエットが目覚めるシーンである。瞬きして目を開きロミオに微笑みかけ、「ロミオ」と呼ぶが服毒した直後で強い毒によりすぐに死に向かうロミオはかすかだが応えて・・・虚空をつかむように手を伸ばし・・・一瞬にしてジュリエットの胸で息絶えた。
このシーンは大変スリリングで観客は思わず手を伸ばしたい衝動にかられる。
バズ・ラーマン監督は他の3作とは異なるサスペンスの構成を目論んだのではないかと思われた。
ただ古めかしい言いまわしや言葉がそのまま登用され効果をあげている例もある。二人の最初の舞踏会での出会いではロミオが自らを巡礼者にたとえジュリエットの手への接吻を詫びる場面があるが結構長い二人の古式の宗教的やり取りが意外に新鮮である。
また最後にロミオが死んだジュリエットに向かい語りかける言葉は原作のまま他の3作品と同じ言葉が使われるが切々と最後の別れを告げる真情溢れる言葉として共感できた。古式言語採用の効果もあるという弁護もしておきたい。
現代アメリカを舞台にするなら原作の構成を大きく変えて新しい解釈若しくはストーリーの設定を行う覚悟が必要だったのではないだろうか?
1961年のロバートワイズ監督により映画化された「ウェストサイド物語」は“ロミオとジュリエット”の古典を現代アメリカに完璧に昇華・適合させた傑作である。
3.ロレンス神父の役割に問題あり
ロレンス神父は相対立するキャピュレット家とモンタギュー家の双方から信頼を受けている人物、敬虔な信仰心の持ち主で、【 困難な二人の結婚を認める決心をし、ロミオがヴェローナの町を追放された後はジュリエットの命を賭した覚悟を容れ二人のために決死の方策を授けるがついにはそれが実らず悲劇に至るという物語のすべての構成者 】である。ロミオが死にジュリエットが後を追った場で狼狽してその場を去るが全作品ともそれきりロレンス神父は登場しない。
しかし最後のヴェローナ大公の裁きの場でこの悲劇に自らが関与したことを表明しロミオとジュリエットの悲劇のいきさつを明らかにする最も重要な役割を発揮するのが原作に描かれている。この役割無しに両家の和解も有り得ず各作品とも不当である。
ヴェローナ大公が「皆に天罰が下ったのだ!」と叫ぶラストシーンだけでは和解どころかかえって遺恨を深めるのではないだろうか?
4.「ロミオとジュリエット」異聞
(1)シェークスピアの四大悲劇と「ロミオとジュリエット」
すでに七日目の終りに述べたように
世に数ある悲劇の中で
ロミオとジュリエットの物語に勝るものはない
というエピローグで物語は終了し作者自身が最大の悲劇と語っているがシェークスピアの四大悲劇には加わらない。
これは素人の考えであるが四大悲劇は物語の登場者とテーマが王室や王位継承に関するものであり後世の人々が名付けたということではないだろうか?
シェークスピアの四大悲劇は「ハムレット」(1600~1601年)、「オセロ」(1604年)、「リヤ王」(1605年)、「マクベス」(1606年)に対するものである。
(2)バレー映画「ロミオとジュリエット」
私は平素より米映画評論家・レオナルドマーチン氏の言を信奉しており自分の映画知識の源として活用している。前述の4作品も彼の映画案内に拠っている。
その中に異色の「ロミオとジュリエット」が紹介されているが、1966年に英国でロイヤルバレー団によって作成されたバレー映画があった。
シェークスピアの作品は全て戯曲であり言葉無しでは成り立たないと思われるがバレーでの表現を志した創作意欲に敬意を表し一度観てみたい。
マーゴット・フォンティーンとルドルフ・ヌレエフの共演と聞きその思いひとしおである。