スター誕生は過去4回映画化されている。製作年度は1937年、1954年、1976年、そして2018年で、各作品の全編を貫く主題は変わらないが製作の度にその時代にふさわしいテーマを取り入れて時代への適合性を追求したところがこの長期にわたるシリーズの映画史における存在価値である。
各作品の製作者がこの普遍のテーマをその時代に適した内容に作り替え、異なる時代、異なる世代に受け入れられてきたという映画史上稀有の作品群ということが出来るだろう。
製作者側も名作へのオマージュを捧げ「スター誕生」というタイトルを変えずにこの名高いテーマを映画化することへの使命感を持っており、監督、俳優、スタッフが最上の作品にすべく総力を挙げてきた結果、いずれの回の作品も個性豊かな名品に作り上げられているのは嬉しい限りである。
ではなぜ何回も映画化されるのか?その魅力とは?時代が与える役割とは・・・これを今回のテーマとして語らせていただきたい。
ところが、この4作品を調べていくうちに驚くべき事実を知ることとなった。これら4作品はすべて「スター誕生(A Star Is Born)」というタイトルを与えられてタイトルそのものへの敬意を表しているのであるが実はこれら4作品をさかのぼる1932年に「栄光のハリウッド(What Price Hollywood?)」という作品が存在し真の原点となっていたことを知り驚いたのである。
さらに驚き、感動したのはこれが現実の世界で起こっていた事実が元になっていたことだった。まず冒頭にこの背景を述べておく必要がある。
元々はアディラ・ディラース・セントジョンという作家が当時のハリウッドのある女優とアルコール依存症の彼女の夫、さらに精神を病み自殺する監督の実話をもとに「The Truth About Hollywood(ハリウッドの真実)」という名で執筆し映画化の基礎になっていた。映画は「What Price Hollywood?」というタイトルで作成され、第5回アカデミー賞原案賞にノミネートされたほど原作の優秀さが証明されている。しかし1932年公開の映画そのものは興行的には赤字だった。(邦題は「栄光のハリウッド」で日本公開は1934年8月)。これがその後80年以上にわたって4回リメークされていく歴史の原典となるものである。
いくらか人物やテーマ展開に違いはあるものの繰り返し作成された4作品に共通するのは人間への愛情と人生の哀切、そしてあくなき人間の野望が深く、厚く練り上げられていることである。
これはとりもなおさずこれら名作品群の原点は現実の世界の事実であったという重み・・・と同時にこの普遍のテーマへの愛情をたゆまぬ努力で映像化し続けるアメリカ映画界への敬意も感じたところである。
作品のそれぞれの構成と特徴を標し、その映画が表した時代と存在の意義を探り、比較してみたい。
1. 1937年版「スタア誕生」(原題:A Star Is Born)、監督:ウィリアム・ウェルマン、出演:ジャネット・ゲイナー、フレドリック・マーチほか
出演:ジャネット・ゲイナー、フレドリック・マーチほか
「スター誕生」の名を冠したこの初作の舞台はハリウッドである。
農家の娘がひたすらアメリカンドリーム“映画スターになる”という夢を抱き続け周囲から変り者扱いされるが祖母はたった一人の理解者で、苦難の開拓時代を生きぬいた彼女は「成功の陰には必ず苦労があるのだ」と励まし幾ばくかの金を持たせ孫の背中を押して旅立たせた。
ハリウッドに来てエキストラの申し込みから始めるが同じ夢を持っているスター願望者は無数にいて関係者は無謀な夢を抱かぬようにやんわりと注意する人ばかり。
チャンスは偶然に訪れ、人気トップの男優ノーマン・メイン(フレドリック・マーチ)が探していた若い女優のイメージに合ったこの娘(ジャネット・ゲイナー)を選定する。
たった一言のエキストラ役の試験を必死に練習していたところに出くわすという設定だった。彼はこの女優志望の女性の純真さに新鮮なものを発見し関心を深めていく。
ノーマンは人気俳優だが独善的で周囲とよく衝突し問題を惹起する。しかし本来一本気で純真さを持った男で、この新人女優にヴィッキー・レスターという芸名を与え上層部に懸命に売り込んでいった。
作品にも恵まれヴィッキーは急速にスターへの道を駆け上がっていくのが前半である。
彼女がスターとなって成功していく過程は余り描かれておらず物足りなさを感じるが、スターになった後のヴィッキーとノーマンの関係が本作のテーマであるからこれはやむを得ないところであろう。
試写会評価は上々でヴィッキーがノーマンより高評価を受け逆にノーマンの存在価値は減じていった。二人の立場は逆転するが互いの愛情は急速に深まっていく。
試写会祝賀会から逃げ出す二人、一本気なノーマンは求婚し、ヴィッキーはこれを受け入れる。ノーマンは信頼している製作者の一人にだけ結婚を報告するが挙式は誰にも告げずわざと誰にも目立たない刑務所の中で司祭にも悟られずに行い二人だけの車での新婚旅行に立っていく。この秘密裏の結婚式は2作目以降でも踏襲されているが、その真意がどうもわからないところである。
高所から眺める市内の夜景を「君のじゅうたん」と比喩し「君はスターになった。自分はずっと探したものがやっと得られたが自分の人生を投げてしまった。もうやり直せない。知るのが怖い」というシーン・・落ち目になったことに気づいたここがこの映画の中軸となるところで、このシーンのフレドリック・マーチは良い味を出している。
一挙にアカデミー賞授与式に移っていくがヴィッキーを会場に座らせたままノーマンはいつまでも現れない。やっとアカデミー授与式の会場に現れたノーマンはしたたかに酔っぱらっていた。受賞者に指名され感激に浸るヴィッキーの声を遮り、自虐的演説を行い「アカデミー最低男優賞はないのか?俺はその資格が十分あるはずだ」と叫び会場の雰囲気も冷めてしまう。振り回した手がヴィッキーにあたり、会場には悲鳴さえ上がった。
ノーマンの病的症状は彼を精神的な治療を行う施設への入院を余儀なくさせた。すでに人気俳優ノーマン・メインの姿はなくそこには病を治癒する男と人気女優のヴィッキーの姿だけである。
結局回復しなかったノーマンは一人病院近くの海に行き入水自殺を遂げるという最後である。直前に「もう一度顔を見せてくれ」という言葉がいい。1954年にもメイソンが言ったが雰囲気としてはマーチが向いている。新聞報道は“事故死”とされたがヴィッキーは引退を決意するほど悲嘆にくれた。そこに冒頭の田舎の祖母がまたも力づけ背中を押して再起を誓うラストは光を感じさせる。
夢を実現する者、頂から落ちていくもの、互いの熱い愛、周囲を取り巻く熱狂の輪、愛憎が織りなすスケールの大きな舞台で繰り広げられるドラマが80年余も続いてきたこの「スター誕生」の変わらぬ大きな魅力と思われる。
フレドリック・マーチは実生活で2度のオスカーに輝く名優である。成功するために費やしたひたむきさはいったん崩れだすとストレートに作用してしまった役どころを見事に表現している。
ジャネット・ゲイナーはサイレント時代に第1回オスカーを受賞するほどの著名な女優で、3作品でアカデミー賞を受賞し最も若い女優として受賞した。
「スター誕生」は実に彼女の30作目の作品である。サイレントからトーキーの転換期を乗り越えられる声の魅力もあった。従って彼女は本来この無名の新人を演じることの自己矛盾を呈しているのであるがこのヒロインの人選は82年間にわたり4度同名のタイトルで映画化された作品に通じる共通点である。
巻末に4作品のヒロインほか作品の比較を行うのでご覧いただきたい。また監督ウイリアム・ウェルマンは第1回アカデミー賞作品賞を獲得するだけの力量と製作力でこの作品に生命を与えている。
2. 1954年版「スタア誕生」(原題:A Star Is Born)、監督:ジョージ・キューカー、出演:ジュディ・ガーランド、ジェームズ・メイソンほか
出演:ジュディ・ガーランド、ジェームズ・メイソンほか
最高傑作の呼び声が高いジュディ・ガーランド主演のシリーズ2作目である。
1937年作品のトップシーンはのどかな田舎だったがこの1954年作は冒頭からハリウッドのビッグイベント“ハリウッド 映画基金募集ショー”が登場し道にあふれるファンの歓声に応えながら数々のスターが到着するシーンで始まる。いきなりメイン会場の慌ただしさと華やかさが溢れるが重要なスターの一人であるノーマン・メイン(ジェームズ・メイソン)はいつも通りなかなか現れない。関係者が必死に探し回る中になんと泥酔に近い状態で現れ周囲を面白半分にかき回していくという見る側にとってもハラハラの開幕シーンである。
ダンスしながら歌う新人の3人グループに交じり込もうとするがそれを観客に悟られないようにさりげなく放そうとする関係者の困惑と狼狽ぶりがメイソンの名演技に増幅されしょっぱなからハラハラしてしまう導入だった。
ジュディ・ガーランドはこの時の新人グループの一人としてダンスと歌を担当していた。酔ってダンスに加わろうとするノーマンを彼女は巧みに笑顔を交えグループから放そうとする。ファンの目で見ると早くもこの二人の主役の絡みが口火を切ったとも思えるシーンだった。
式の終了後いつもの癖で飲みまわるノーマンはダンサーや歌手は夜中でも練習をしていると聞きさっきのグループの場所を聞き出しこっそりその練習場を訪れる。
そこで発見したのは深夜に真摯な練習を重ねる集団とヴィッキー・レスター(ジュディ・ガーランド)の見事な歌唱力だった。目が覚めた思いのノーマンはヴィッキーにもっと大きな舞台に進出するようにアドバイスする。
ヴィッキーは今所属する楽団はハリウッドのビッグイベントにも声がかかる程の力もありそこの歌手であることが自分のベストのポジションと思っていた。最初は拒むがノーマンの真剣さに打たれ挑戦しようという気持ちが芽生えてくる。
ノーマンの表現は中々味がありヴィッキーの魅力を評して「“カジキマグロ釣りの感覚”、“ボクシング試合観戦の感覚”に例えている。人にはない何かがスターを作り上げる。君にはそれがある・・・」という表現だった。自堕落な生活を送りながらも芸を極める心、優れたものを見出す能力、それを育てようとするひたむきさはノーマンの特長である。
酔っていたためヴィッキーの住所などあやふやな記憶しか持たなかったノーマンは一度彼女を見失うが必死に手を尽くし、コマーシャルソングに出ていたヴィッキーを発見し再会する。この捜索と再会の過程もなかなか見ごたえのある構成になっていた。
ノーマンは彼が信頼する実力者のプロデューサーであるオリヴァー・ナイルズ (チャールズ・ビックフォード)へ彼女の登用を請願する。オリヴァーはノーマンの申し出を受け入れるがこの時背景にスタジオ、撮影所の内部、スタッフたちの日常、撮影シーンなどが次々に現われて当時のハリウッドの映画製作現場が臨場感を持って描かれておりリアルである。
ここでヴィッキー・レスターがスターに成長していき、一方でノーマン・メインの人気への陰りが現れ境遇が逆転していくことになる。ここでも1937年作品同様スターへの飛躍の過程は詳しく描かれないという不満は残るがこれから訪れる主題への重要性を製作者たちは優先したと思われた。
ともあれ、試写会で高い評価を受け、公開後は人気沸騰し、「こんな成功は前代未聞だ!」と言わせるほどの人気となった。立て看板のノーマン・メインの大写真を外しその上にヴィッキー・レスターの写真を張り替えるという象徴的なシーンも登場した。
ノーマンはホテルの窓からヴィッキーと二人で広大な街の夜景を見下ろしながら「世界は君のものになった」と語るが既に自分の存在が下降に向かっていることを自覚していた。二人は結婚するがここも1937年の前作と同じく誰にも言わず二人だけで行い、結婚の宣誓者に名前も知らせずに秘密に行ったため、周囲の大きな反発を買うことになる。
ノーマンの自分が下り坂にあるという予感は的中しオリヴァーから解雇の通知が下される。彼の余りに独断的行動が会社に迷惑を与え、修復見込み無しという理由だった。
仕事なしのためヴィッキーの帰る前に食事を作り待っているノーマンと稽古が終わって着替えもせずに急いで帰宅したヴィッキーの二人だけの食事シーンが出てくる。
解雇されたことを妻に伝えず夕飯を作って待つノーマン。妻は夫に何か隠しごとがありそうだと感じながらも今日のショーの様子を懸命に再現して見せる。一方夫は妻に自分を見透されないように気を使いながら妻が自分のために精一杯今日のショーを再現する劇中劇を楽し気に眺める。この場面はジェームズ・メイソンとジュディ・ガーランドという名うての俳優が自らの心を隠しながら相手の気持ちを量っているという緊迫した場面であり、両者の気遣いが息詰まる心理劇の見せ場となって見ている方も苦しくなる印象的なシーンであった。
最大の問題アルコール依存を直そうと努力するノーマンだが気晴らしに出かけた競馬場で自分が絶頂期にマネージャーを務めていた男と会いノーマンは懐かしがるが男はかってノーマンが起こした問題をもみ消し、解決するためにどれだけ苦労したかをこの時とばかりののしった。遂にノーマンは抑えきれずに殴りかかるが反対に殴り返される。
失意のノーマンはやめていたアルコールに再び手を出し深酒の後とうとう行方不明になってしまう。数日後留置場からの連絡でヴィッキーとプロデューサーのオリヴァーはノーマンの略式裁判に出席し拘留の判決を下されるが「必ず立ち直らせる」と裁判官に約束し判決保留で身柄を妻に預けるとして保釈される。そして遂にノーマンはアルコール依存症治療の施設に入院した。ノーマンは厳重な管理下で治療を続けるが最早自分の役割が終わったことを自覚する。
外で妻ヴィッキーと盟友オリヴァーの会話が風に乗って聞こえる。必死の形相で「彼を立ち直らせたい」、「彼についてどこかに行って二人だけで暮らす」という妻の真剣さ、切実さ、あるいはここまで自分のために犠牲をいとわぬ妻の荷になってはいけないというノーマンらしい思いやりか、彼は自らの命を絶つべく病院裏の海に向かって行った。
ヴィッキーは自分の想いが届かなかったノーマンの死を悼み舞台への意欲を失ってしまうが待っているファンの声に押され舞台に登場する。歌も踊りもなく立ち尽くす彼女が絞り出したのは「私はノーマン・メイン夫人です」の一言、じっと佇む遠景のシルエットに彼女への共感と光を感じたラストシーンだった。
なお、「スター誕生」の原点「栄光のハリウッド」を1932年に監督したジョージ・キューカーは1937年にも依頼を受けたが断っている。しかし想い続けていたのかこの1954年作の監督を務めシリーズ最高の傑作を作り上げた。
3. 1976年版「スター誕生」(原題:A Star Is Born)、監督:フランク・ピアソン、出演:バーブラ・ストライサンド、クリス・クリストファーソン
出演:バーブラ・ストライサンド、クリス・クリストファーソン
1954年の前作から22年が経っており、この間にアメリカが自ら作り出し自ら感じた痛みや社会の激変、そして映画界自身もアメリカンニューシネマの洗礼を受けて変容していた時であるから前2作までののどかなアメリカンドリームとは姿を変える。
しかしながらやはり先輩作品に対する敬意を随所で表現し、節目のポイントには旧作と同じ強調表現や比喩、そして定型的な事柄が前作に対する儀礼のように組み込まれているのが感じられた。
女性歌手エスター・ホフマンはバーブラ・ストライサンド、彼女の優れた才能、歌唱力、表現力に気付き大歌手への路線を引き自らは破滅していく男性歌手、ジョン・ノーマン・ハワードはクリス・クリストファーソンが演じている。
ともに当代のトップミュージシャンが題名とストーリーは前作品を継承しつつ作風は1970年代のアメリカの、さらに舞台をミュージシャンの世界に置き換えた。
初作の「スタア誕生」1937年の頃は映画が最高の時で、ハリウッドのスターがアメリカンドリームだったが本作品の頃は既にミュージシャンの位置づけと役割は映画を超えていた。アカデミー賞開設は1929年、グラミー賞開設は1959年という事実からも音楽に対する時代の変化が読み取れる。
静かな映画ファンとは異なり音楽の聴衆は何万という巨大な集団となり受け手側でありながら余すところなくエネルギーを発揮してくる。
音楽会場に集結した数万の群衆は叫び、叩き、共感する。設置される音響装置はその集合音をさらに超えるほどに(数万人の声を圧する一人の声に)編成されて再び聴衆に降りかかる。聴衆は反撃し、さらに倍加した音響が聴衆に襲いかかる。舞台や映画とは違う聴衆の熱狂が発揮されるのが本作の特徴であり音楽指向の映画の宿命と言えるだろう。
この音楽の世界こそがバーブラ・ストライサンドが目指したものでありこの映画の序章部分からすでにその雰囲気になっていた。
ただ、1作、2作を評価し尊重する世代、私もその一人であるがこの映画の作風はいささか受け入れ難いものを感じてしまう。
エンディングのクレジットに表示される本作関係者を見て気付くのは、Executive Producer (製作総指揮)Barbra Streisand とMusical Concepts(音楽構想) By Barbra Streisandの表示であった。総監督を務めるのはフランク・ピアソンであるがバーブラが並々ならぬ目的と決意をもってこの作品への参加を意図しているのが感じられ、果たしてバーブラの存在が最重点になった作品である。ちなみにクレジットにはさらに Ms. Streisand’s Clothes…from Her Closet と表され衣装に至るまで良くも悪くもバーブラの強い意志が働いているのが分かる。
一例では彼女がノーマンの計らいでデビューするシーンである。大聴衆の前にエスターをいきなり押しだして歌わせる。ノーマンは成算あってのことだったがエスターは一瞬躊躇したものの懸命に歌う。
2曲を歌っただけだが聴衆はその魅力に熱狂し、たちまち無名の女性が大人気を得るという構成になっているがここは成果があまりに急すぎないか・・・と私だけでなくとも受け容れにくい感覚である。
またノーマンの不慮の死の後、最終場面でバーブラが大勢のファンに向かって歌うのであるが8分近くかけている。第1、第2作ともノーマンへの敬愛は緊張し張り詰めた言葉も音もない短時間の後「私はノーマン・メイン夫人です」と絞り出す短い言葉で効果的に表現され、見る側も共感する感動があった。本作では感じられない。
逆に印象に残るシーンでは、初めてノーマン邸を訪ねたエスターがピアノに向かって自分の曲を演奏しそれをノーマンが歌詞を付けて互いの意見で改良しながら歌い、曲を作り上げていく初めての打ち解けたシーンは先の2作品にはないほのぼのとしたものを感じた最高の場面である。
また第49回アカデミー歌曲賞を獲得し第20回グラミー賞最優秀楽曲賞を受賞したのはさすがである。
4. 2018年版「アリー/スター誕生」(原題:A Star Is Born)、監督:ブラッドリー・クーパー、出演:レディ・ガガ、ブラッドリー・クーパーほか
出演:レディ・ガガ、ブラッドリー・クーパーほか
第1作から第2作に17年、第2作から第3作までに22年、そして第3作からこの第4作までには実に42年という年月が経過している。これから述べる第4作で主演するレディ・ガガは前作完成時にまだこの世にいなかったしブラッドリー・クーパーはやっと1歳児だった。(巻末の比較表をご参照)
そういう俳優たちが過去の名作を現代に持ち込み現代へ適合させるために新たな解釈と改造を加えて作り上げるという意気込みは誠に頼もしく敬意を表したい。
レディ・ガガもブラッドリー・クーパーも当代きってのミュージシャンでブラッドリー・クーパーはこの作品そのものの監督も務めている。
それだけにリメークの使命である“前作を超える“という目標を達成するための努力は随所に感じられ内容も優れた作品に仕上がった。人物の背景に彩りが加わり特にブラッドリー・クーパーが演じるトップロックシンガーであるジャック(ジャクソン)・ノーマンはアリゾナ出身で家族構成や生い立ち、生まれつき片方の耳の聴力に難があるという人物の描写が適格に行われ作品に深みを与えている。過去の3作品には無かったこのヒーロー像の設定が全編を通し効果的に表現されていると感じた。
また最初にアリーと知り合うきっかけも丁寧に描かれ共感を持つことが出来る。過去のどの作品にもヒロインに向かって語る言葉が心をとらえるが本作では「君の才能を人の心に響くような表現で伝え、何をやるかが問題だ・・・」と語りかけアリーを目覚めさせていた。
同じ音楽の世界を舞台にした1976年の前作には完全に勝っているという評価がなされるのに同感である。
ブラッドリー・クーパーは主役ノーマンを演じるに当たりこれまで3回の先行作品で表現された時よりアルコールに耽る心境、アルコールにより身体、精神が蝕まれていく様子、そのアルコールによる行動の異変がさらにアルコールへと向かう悪循環などを鋭くリアルに描き俳優としてのみならず監督としての今後の可能性を感じさせた。
余談だが彼はクリント・イーストウッドと交流があるそうでその影響もうけつつ彼のような監督としての活躍にも期待できる人物と見受けられた。
そのジャック・ノーマンの明確な存在感は相手方のレディ・ガガが演じるアリーにもまた刺激と影響を与えている。ノーマンに押され大きく成長し大人気歌手になっていきながら夫が身体と精神に変調をきたしミュージシャンとしての存在感をなくしていくのを必死に蘇らせようと務める姿は感動的である。
アリーのマネージャーはノーマンに見切りをつけアリーの人気拡大のためにはノーマンは邪魔とばかりに叱咤するがアリーの夫を思う心はその表情に現れ、ステージで見せる歌、見事なダンスとは対照的に夫をいたわり励ます姿が好対照をなし後半の見どころになっていた。レディ・ガガの俳優としての能力も高い。
二人でピアノを弾きながら歌詞と作曲をする場面のひととき二人の楽し気な時間も描かれておりほっとさせる場面も取り入れる一方で聴力の悪化に苦しむノーマンの姿など苦悩や喜びの描き方もリアルだった。
いよいよグラミー賞にノミネートされたアリーの授与式では全4作品に共通するノーマンの不始末は残酷なほどに描写される。
遂に施設に入り治療に努めることになったノーマンだが周囲は最早冷たい目でしか彼を見ないようになる。アリーのマネージャーはノーマンのグラミー賞での不始末に苦労した話でノーマンに毒づく。ノーマンは誇りは失わないがアリーのためには自分が存在しないことを選択し、死への決意を固めた。
アリーは希望だった海外コンサートが実現しノーマンの転機のためにも自分と同行し一緒に歌うことを会社に願い出るが強硬に拒否された。
ノーマンには海外行きの行事は会社の都合で中止し、当面国内での新曲吹込みに変わったとうそを言って国内での演奏に集中する。
彼が見に来ると期待し熱唱していたそのときノーマンは一人命を絶っていた。子供の頃一度試みた父のベルトを使って行い失敗したことのある縊死である。
ラストの演奏会に出かけるアリーに向かって言う「君の顔をもう一度見せてくれ」という言葉は他の3作品でも必ず使われる定番の言葉でそれぞれの場面で有効に使われている。
これまで製作された4作品は作成時期も俳優も異なり登場人物の名前も共通ではないので作品ごとに比較した以下の一表をご参照いただければ幸いである。
“A Star Is Born” 4作品の比較表
製作順 | 第1回 | 第2回 | 第3回 | 第4回 |
製作年 | 1937 | 1954 | 1976 | 2018 |
原題名 | A Star Is Born | A Star Is Born | A Star Is Born | A Star Is Born |
邦題 | スタア誕生 | スタア誕生 | スター誕生 | アリー/スター誕生 |
監督 | ウィリアム・ウェルマン | ジョージ・キューカー | フランク・ピアソン | ブラッドリー・クーパー |
映画の舞台となる世界 | ハリウッド | ミュージカル | ロックミュージック | ロックミュージック |
劇中のヒロイン名 | ヴィッキー・レスター | ヴィッキー・レスター | エスター・ホフマン | アリー |
女優名 | ジャネット・ゲイナー | ジュディ・ガーランド | バーブラ・ストライサンド | レディ・ガガ |
出演時の年齢 | 31 | 32 | 34 | 32 |
ヒーロー名 | ノーマン・メイン | ノーマン・メイン | ジョン・ノーマン・ハワード | ジャック・ノーマン |
男優名 | フレドリック・マーチ | ジェームズ・メイソン | クリス・クリストファーソン | ブラッドリー・クーパー |
出演時の年齢 | 40 | 45 | 40 | 43 |
ノーマンの理解者、支持者 | マネージャー | プロデューサー | マネージャー | マネージャー:実兄(異母兄) |
俳優名 | アドルフ・マンジュー | チャールズ・ビックフォード | ゲイリー・ビューシー | サム・エリオット |
製作年 | |
---|---|
第1回 | 1937 |
第2回 | 1954 |
第3回 | 1976 |
第4回 | 2018 |
原題名 | |
第1回 | A Star Is Born |
第2回 | A Star Is Born |
第3回 | A Star Is Born |
第4回 | A Star Is Born |
邦題 | |
第1回 | スタア誕生 |
第2回 | スタア誕生 |
第3回 | スター誕生 |
第4回 | アリー/スター誕生 |
監督 | |
第1回 | ウィリアム・ウェルマン |
第2回 | ジョージ・キューカー |
第3回 | フランク・ピアソン |
第4回 | ブラッドリー・クーパー |
映画の舞台となる世界 | |
第1回 | ハリウッド |
第2回 | ミュージカル |
第3回 | ロックミュージック |
第4回 | ロックミュージック |
劇中のヒロイン名 | |
第1回 | ヴィッキー・レスター |
第2回 | ヴィッキー・レスター |
第3回 | エスター・ホフマン |
第4回 | アリー |
女優名 | |
第1回 | ジャネット・ゲイナー |
第2回 | ジュディ・ガーランド |
第3回 | バーブラ・ストライサンド |
第4回 | レディ・ガガ |
出演時の年齢 | |
第1回 | 31 |
第2回 | 32 |
第3回 | 34 |
第4回 | 32 |
ヒーロー名 | |
第1回 | ノーマン・メイン |
第2回 | ノーマン・メイン |
第3回 | ジョン・ノーマン・ハワード |
第4回 | ジャック・ノーマン |
男優名 | |
第1回 | フレドリック・マーチ |
第2回 | ジェームズ・メイソン |
第3回 | クリス・クリストファーソン |
第4回 | ブラッドリー・クーパー |
出演時の年齢 | |
第1回 | 40 |
第2回 | 45 |
第3回 | 40 |
第4回 | 43 |
ノーマンの理解者、支持者 | |
第1回 | マネージャー |
第2回 | プロデューサー |
第3回 | マネージャー |
第4回 | マネージャー:実兄(異母兄) |
俳優名 | |
第1回 | アドルフ・マンジュー |
第2回 | チャールズ・ビックフォード |
第3回 | ゲイリー・ビューシー |
第4回 | サム・エリオット |