第1回
〜 観音巡礼 坂東三十三か所巡り 〜
三原種昭

■ 三原種昭氏プロフィール

三原種昭
(昭和14年1月31日生 本籍岐阜県大垣市)

昭和37年3月
早稲田大学第一理工学部電気通信科卒

昭和37年4月
日本電信電話公社入社
平成3年6月
日本電信電話株式会社(NTT)
取締役九州支社長
平成7年6月

常務取締役九州支社長
平成9年4月
NTTコミュニケーションウェア株式会社
代表取締役副社長
平成10年6月

代表取締役社長
(注 現NTTコムウェア株式会社)
平成12年6月
大明株式会社
代表取締役副社長
平成13年6月

代表取締役社長
平成18年6月

代表取締役会長
平成20年6月

取締役相談役
平成24年6月
株式会社ミライト
名誉顧問


■ コラム

 今年は四国霊場開創1200年いわゆる四国八十八か所のお遍路が注目を浴びています。徳島県霊山寺(一番札所)から香川県大窪寺(八十八番札所)へ全行程1460㎞の八十八の霊場を巡り、それぞれの新しい道を求め、お大師様のお慈悲にすがり、時として弱くなりそうなわが身を叱咤激励し自分探しの道に挑む方がたくさんおられます。特に逆うち(八十八番から一番へ逆に回る)すると霊験あらたかと言う事で人気があり逆に回られる方も多いようです。

 この四国の霊場巡りは大変有名なのですが他に古くから名が知られているのは関西地方を中心にした「西国三十三か所巡礼」、関東地方を中心とした「坂東三十三か所巡礼」、秩父固有の「秩父三十四か所巡礼」などあり合わせて100観音巡りも古来親しまれた巡礼として広く人口に膾炙されてきました。

かつては巡礼と言うと何か年寄りの旅ではないかと思われることが多かったのですが最近は若い人、外国人にも有名になりワールドワイドになってきたようです。

実は巡礼はキリスト教が古く1000年以上の歴史を持って運用されています。スペインの北西部ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼はキリストの弟子聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸が納められているコンポステーラの大聖堂に向けてフランスからピレネー山脈を越え800㎞の道を徒歩で向かう事が条件になっております。その他ポルトガルからのルートやスペイン国内からのルート等幾つもあり、1993年にはユネスコの世界遺産に登録され、同じく日本で登録された熊野古道と姉妹提携を締結しています。最近は四国八十八か所巡りとタイアップして両方を巡る人も増えてきているようです。

巡礼はやはり宗教的色彩が強くもともと修行としての要素が強かったのではないでしょうか。熊野古道なども人気がありますがこれも修験者が修行するための道ではないでしょうか。洋の東西を問わず歩きながら何かをもとめ悟りの境地へむかう道それが巡礼だったのでしょう。

 1979年(昭和54年)1月私は電電公社(現NTT)の関東電気通信局施設部長として大手町の通信局に着任しました。齢40歳でありました。関東管内(神奈川・埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬・山梨)の設備とその設備に係る人をマネジメントする役割が私の使命でありました。その為には管内の設備を知り、人を知る為に各地の電話局を訪問する必要があるのですが、この時管内に三十三か所のお寺を巡る「坂東三十三か所巡り」があることを知り仕事と合わせてお寺を巡る事を始めました。

坂東の巡礼が始まったのは1000年以上前永延2年(988年)の頃と言われていますが、当時は修行僧の修行の場として始められたように見受けられます。その後室町中期以降には庶民の間でも巡礼が盛んになり、今風にいうと地方創生、京都・江戸一局集中排除のねらいもあったのではないでしょうか。特に鎌倉時代源頼朝はこれら寺院を保護、援助しこのシステムの維持向上に寄与しています。

「いざ鎌倉」と言う時のネットワーク作りに利用したのではないかと推察されます。鎌倉を出発点に相模・武蔵・上野・下野・常陸・上総・下総・安房を巡るネットワークが完成し、最後は安房の国から海上経由で鎌倉に戻るルートになっているのです。現代の通信ネットワークは光ケーブルを中心にマイクロも利用しネットワークを構成していますが、鎌倉時代・江戸時代まだ通信が発達していない時代の情報ルートは道路(道)であり、人間による情報伝達がメインです。この道(ネットワーク)をメンテし宿場等のノードを維持するために巡礼と言うソフトで対応したのでしょう。その為には修行から観光にその目的を変更し、観音巡りの大義のもと物見遊山の付加価値をつけ多くのトラヒックをネットワークに乗せていく事を画策した人がいたのではないでしょうか。

そんな事を考えながら1979年(昭和54年)10月18日坂東一番札所鎌倉の杉本寺をお参りしました。鎌倉のお寺のなかでも最古の古刹と言われ、茅葺の観音堂は趣を残しています。この一番札所から座間市の星谷寺八番札所までと、十四番札所横浜の弘明寺を加えて相模の国の札所があります。杉本寺のご本尊は十一面観世音菩薩であり観音信仰は古くから各時代を通じて民衆信仰を代表するものとなっておりますが、観音様は民衆の願いを聞き入れるために三十三の姿になって救いとなると言われており、そこから三十三か所の観音様をお参りする習慣が出来たと言われています。したがって各お寺のご本尊は観世音菩薩であり、その基本は聖観音であり、他に十一面観音・千手観音・如意輪観音・不空羂索観音・馬頭観音等の観音様が祀られています。坂東では十一面観音が一番多く、ついで千手観音がご本尊になっているお寺が多いようであります。マルチな観音様への期待が大と言えます。

九番から十二番までは埼玉県、東京の浅草寺(十三番)を含めて武蔵野の国、十五・十六は群馬県(上野の國)十七番から十九番までは栃木県(下野の国)二十番から二十六番までは茨城県(常陸の国)そして二十七番から三十三番までは千葉県(上総・下総・安房)に点在しています。

巡礼の原則は徒歩でお参りするのが原則ですが、仕事で近くを訪問した時合わせてお参りしておりましたので近くまでは車、その後歩いての巡礼になりました。

最後にお参りしたのは成田にある二十八番龍正院であり1978年(昭和55年)7月5日に満願成就いたしました、半年ちょっとのお寺参りです。

この間お参りの時にお祈りしてきた事項は「電電公社・関東電気通信局の事業発展」「社内・家内安全」「わが身の健康」の三項目でありました。その時々に仕事の仲間、家族を同道してお参りしてきました。

 それから30年余2013年(平成25年)1月23日鎌倉の一番札所に家内共々参詣をしました。杉本寺は昔と変わることなく茅葺の古い趣で存在していました。30年前観音巡礼をした時将来現役を退き時間が出来た時またこの坂東三十三か所巡りをもう一度チャレンジしようと考えていましたが、この年の新年の新聞広告で阪急交通社がこの巡礼のツァーを企画していること知り、家内と二人で巡る事にしたのでした。1月から10月まで10回に分けて毎回数寺をお参りするツァーであります、お坊さん等の先達も同席し、般若心経を唱えバスでお寺の近くまで行けるので年寄りにとっては有難いツァーでありました。第一回のお寺は杉本寺の他5~7番札所まででした。そのすべてが昔と同じ雰囲気で30年の格差を感じさせないものでした。その間通信の世界は固定電話から携帯へ、音声通信からデーター通信へ、そしてインターネット、SNS、IOTと目まぐるしい変化をとげておりますが三十三か所のお寺は昔の姿を残し毅然と存在しておりました。これが信仰と言うものかなと思わせる雰囲気です。

世の中は変わりましたが人の悩み信仰への思いは過去から未来まで不変なのですね。30年前と同じく観音様は庶民の悩みを受け入れてくださるようです。

人生のなかで何度か立ち止まり生きてきた道を振り返り、それからの人生を見通すチャンスを持つことは大切な事ではないでしょうか。何か新しい自分探しをするのは無駄ではないでしょう。30年前とまた異なった思いで巡りこの年の10月に大願成就、12月に長野の善光寺にお礼参りするオプションもありました。

三十三か所のお寺はそれぞれの地域性もありそれぞれ趣ある構成になっておりますが、一般的に言って関西にくらべて関東のお寺の規模構成は質素な気がします。文化・政治・信仰が西から伝来してきた故かもしれませんし、上方に対して坂東武者が中心の関東の風土もあるかも知れません。質実剛健なのですね。

坂東三十三か所のなかでの私の推薦は、と言うか印象に残ったお寺は「三十一番笠森寺」 千葉県長南町にあるお寺で杉の林を登りその先に京都清水の舞台のように山の上にお堂があります。四方懸造と言われる手法で建築された日本唯一の方式であります。お堂からの眺めも素晴らしく厳かな雰囲気になっています。芭蕉の句「五月雨にこの笠森をさしもぐさ」がありました。

次が「十九番大谷寺」 栃木県の大谷石の産地にあるご本尊は大谷石で出来た観音様であります。たしかスリランカにもあったような気がしました。本堂は岩壁を囲むように建てられており珍しいお寺でした。

「二十一番八溝山日輪寺」 三十三か所で最もお参りするのが大変と言われているのがこの八溝山日輪寺、確かに徒歩でこの八溝山に登るのが大変で「八溝知らずの偽坂東」と言う言葉も昔はあったようであります。山に登れない人の為に地元からお祈りする巡礼もあったようです。現在は頂上近くまで林道を地元の常陸大子でマイクロバスに乗り換えてのお参りでした。

茨城県・栃木県・福島県の県境近くに位置する八溝山、電電公社の東北方面へのマイクロルートの中継所が頂上近くに存在しています。

 最後のお礼参りのツァーのなかで先達から次のようなお話がありました。

「皆さんこのお参りで納経を受けた納経帖これは大事にされて最後の旅に出る時には必ず携行されることをお勧めいたします。閻魔さまの地獄・極楽判決の裁量を決定づけるのがこの納経帖ですよ」とのお達しでした。

私は他に九州八十八か所・九州西国三十三か所の納経帖もありますが、観音様のご慈悲に囲まれてこれまでの来し方を反省して、これからの後期高齢社会を生きてゆく必要があるかなと思っております。これから将来を担う方々に少しでもお役に立つ事、それが本当の納経帖ではないでしょうか。

日本にはこの他にも東京には江戸三十三観音・山の手三十三観音・深川三十三観音、鎌倉には鎌倉三十三観音、新潟には越後三十三観音等各地方に観音巡礼のお寺があります。機会を見つけてさらに巡礼しようかと思っております。皆様も如何ですか。

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