第2回
〜 観音巡礼 九州の霊場 〜
三原種昭

■ 三原種昭氏プロフィール

三原種昭
(昭和14年1月31日生 本籍岐阜県大垣市)

昭和37年3月
早稲田大学第一理工学部電気通信科卒

昭和37年4月
日本電信電話公社入社
平成3年6月
日本電信電話株式会社(NTT)
取締役九州支社長
平成7年6月

常務取締役九州支社長
平成9年4月
NTTコミュニケーションウェア株式会社
代表取締役副社長
平成10年6月

代表取締役社長
(注 現NTTコムウェア株式会社)
平成12年6月
大明株式会社
代表取締役副社長
平成13年6月

代表取締役社長
平成18年6月

代表取締役会長
平成20年6月

取締役相談役
平成24年6月
株式会社ミライト
名誉顧問


■ コラム

 昭和58年(1983年)7月電電公社民営化の2年程前、九州の福岡都市地区を管理する福岡都市管理部長の辞令を頂いた。初めての九州での勤務でありました。

博多が櫛田神社のお祭り「山笠」で最高潮になる7月上旬、赴任するフライトは玄界灘の上から志賀島上空をかすめて福岡に着陸しました。町は山笠一色、お祭り好きな博多っ子にあふれていました。

着任後の慌ただしさも少し治まった11月、ふと昔の坂東観音巡礼の事を思い出し、地域を良く知るためには巡礼のネットワークを活用するのが良いかなと思いこの九州にも何かないかなと探していたところ「九州西国三十三か所霊場」があることを知り、巡礼することにしました。九州西国霊場は古くは「筑紫三十三番札所」と呼ばれていたようで実は歴史は大変古いのです。和銅六年(713年)法蓮上人と大分宇佐の仁聞菩薩が日子山権現のお告げにより九州北部(福岡・大分・佐賀・長崎・熊本の5県)の霊場を巡礼したことが始まりと言われております。四国八十八か所霊場の創設が815年と言われておりますのでそれより古く、事実とすれば日本最古と言えましょう。確かに色々な物は大陸から海上又は朝鮮半島を経由して日本に入ってきておりますので九州に始まり、近畿圏そして関東へと伝わったかもしれません。しかしそれをうまく商品化したのは西国・坂東・四国等の霊場で、九州の霊場が再構築されたのは私が赴任する3年程前だったようです。

開祖の法蓮上人・仁聞菩薩の関係もあり霊場は福岡県に11、大分県に10、そして長崎5、佐賀4、熊本3となっています。

一番札所は英彦山霊泉寺で法蓮上人が英彦山に山岳仏教発展の基礎をつくり、宇佐国東に神仏習合の仏教文化を花開かせたと言われております。

最終三十三番札所は大宰府観世音寺で結願となります。最初にお参りしたのはこの観世音寺で大宰府政庁都府楼後の隣にあり、かつては西日本を代表する寺だったと言われております。福岡一の観光地大宰府天満宮が近くその後何回も訪れる事になりました。国宝級の仏像が宝蔵庫に収められております。

昭和58年(1983年)11月九州西国巡礼の始まりでした。

この寺のご詠歌は「数々の世々の仏の戒めを今に絶えせず道教しゆなり」とありました、巡礼の心に響くご詠歌でした。

英彦山から始まる巡礼は仏の里大分県国東半島をへて火の国熊本阿蘇山に至る山の道、筑後川有明海から長崎の地へ、そして玄界灘を望む唐津・糸島・宗像へと海の道をたどる壮大な九州そのものを代表するルートが設定されており、とりもなおさず九州観光ルートの巡礼となっております。

その後一年半ほどかけて33の霊場を回りましたがその間NTT民営化もあり福岡を去る時はNTT福岡中央支社長のタイトルになりましたが巡礼のお蔭か無事任期を終えることができ、かつ地域とのかかわりも良く理解できたような気がしました。

それから6年平成3年(1991年)7月長崎雲仙普賢岳の噴火を遠くに見ながら今度は熊本空港へ着陸です。NTT取締役九州支社長を拝命しての着任でした。二度目の九州勤務、顔見知りも多く、福岡の地元の皆さんとも再会を祝しこれからの九州勤務に期待の出来る気がいたしました。

赴任の少し前雲仙普賢岳の噴火、土石流による被害が大きく報告されていました。そして着任後台風の直撃等九州らしい洗礼を受けて二度目の九州での勤務が始まった訳ですがこれはもう人智を超えた試練であり、何かに心の拠り所を求めよう、前回巡礼した九州西国三十三か所巡りを始めようと福岡でのゴルフの帰り宗像鎮国寺を訪れたのですが、そこで九州西国でなく九州全土に八十八の霊場を開設し「九州八十八ヶ所霊場」がスタートした事を知り納経帳と掛け軸を購入し今回はこの霊場めぐりをしようと決めたのでした。

この鎮国寺の近くには宗像大社があります、宗像大社のホームページによりますと、この宗像大社はまたの名を「道主貴(みちぬしのむち)」と言われておりますが宗像大社に祀られている 宗像三女神が「道主貴(みちぬしのむち)」、すなわち国民のあらゆる道をお導きになる最も尊い神として崇敬を受けたことが記されています。

また、ここ宗像の地は中国大陸や朝鮮半島に最も近く、外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にあり、「古事記」「日本書紀」によれば、三女神は天照大神と素戔嗚尊の誓約のもとに誕生し、天照大神の神勅によって、この大陸との交通の要路にあたる「海北道中(かいほくどうちゅう)」(宗像より朝鮮半島に向かう古代海路)に降臨されたとあります。当大社は古代より、「道の神様」としての篤い信仰を集めていたと言われております。鉄道が敷かれるようになると鉄道関係の人々が、自動車交通が発達すると車を運転される人々が、安全運転を誓ってご参拝になられていました。このように、宗像大社は、道の神、交通安全の守護神として人々から篤く崇敬されています。

この道の神は我々通信関係者にとってはネットワークすなわち光伝送路を司る神様と言う事になりますので実は最初の福岡勤務の時、昭和59年丁度日本列島縦断光伝送路工事起工の九州地区起工式をこの宗像大社でとりおこなってもらったのです。

当時の宮司さんが光通信についてかなり関心がおありで起工式のお願いに伺った時も快くお引き受け頂いた事が懐かしく思い出されました。

その後全国に光のネットワークが形成される訳ですが、光の道はこの宗像大社の霊験によるところ大であったのではないでしょうか。

この「九州八十八ヶ所霊場」は弘法大師御入定1150年御遠忌を記念する昭和59年に九州の真言宗寺院が団結して開祖されたもので全八十八ヶ所の寺院は全て真言宗の寺院で構成されております。弘法大師が入唐されて帰国に際して筑前博多に留まり、この地に堂舎を建立され密教の東漸を祈られたのを紀元して真言密教が東に長く伝わることを祈念されて興されたのが東長密寺であり八十八ヶ所の第一番札所としてスタートの位置にあるようです。

JR博多駅より駅前の大博通りを10分程歩くと右側に別格本山南岳山として寺院が存在します。本堂は昭和59年に再建されたものでありますが、本尊は千手観音で国宝の指定を受けたご仏像であります。弘法大師が唐より無事帰国されて密教布教の原点とされた寺院が一番札所と言うのも意味のある構成になっているのでしょう。

また唐に向けて遣唐船が出航した長崎県平戸田浦にはその因縁で七十八番札所田浦霊場 入唐山開元寺が建立されています。弘法大師が入唐されて最初に滞在された寺院が中国福州の開元寺であることに因みこの地に開元寺となっているようです。

そして弘法大師が帰国後宗像大社に渡航の願望が成就したことの祈りをされたことから近くの屏風山に堂舎を建立されたのが八十八番札所の鎮国寺であり巡礼最後の締めの位置づけとなっているようです。

寺院は私の管轄範囲である九州各地に存在しており福岡県25寺、大分県12寺、宮崎県11寺、鹿児島県8寺、熊本県9寺、佐賀県11寺、長崎県12寺となっています。残念ながら管轄範囲の沖縄は含まれておりませんが沖縄はその島を全部回ると言うプロジェクトでカバーいたしました。

機会あれば今度は島の話をしたいと思います。

その後寺院の入れ替えや追加もあり現在108寺となっていると言う話も聞いております。当時寺院の中には創設されたばかりで納経のシステムが完備していないところや、住職不在で畑仕事をしている方が納経に応じてくれる等未完成なところがまた魅力的でもありました。

住職がNTT-OBであったり、住職の代わりに納経を受けていただいた住職の娘さんがNTT社員であったりと思わぬ出会いに驚いたこともありました。

お茶やお菓子の接待や、地域の昔話を聞く機会があったり九州の懐の深さを感じる霊場巡りでもありました。

着任以来管内各支店を回り、一日支店長と称して各支店に朝から夜まで滞在するという現場巡りをやりましたがその時も近くのお寺を支店長と一緒にお参りいたしました。

スタートは平成3年(1991)10月福岡宗像でのゴルフコンペの後宗像鎮国寺を訪問し、八十八ヶ所霊場を紹介され早速近くの宗像観世音寺(八十七番)国道3号線に近く民家のようなお寺から始めることとなりました。

丁度一年平成4年(1992)10月長崎くんち祭りを観た帰り六十六番東前寺へお参りしました。JR大村線川棚駅の近くのお寺ですが、この川棚にはアンデルセンと言う名の喫茶店(?)又はスナック(?)みたいなお店があってお店のマスターが超能力を見せると言う事で有名でした。手品だと言う人もいるのですが手品では説明出来ないようなメニューもあり不思議の世界で人気がありました。この一年で54寺の納経を頂いております。

平成5年(1993)10月開始してから2年いよいよ大願成就、九州経済同友会のアメリカ南部視察に出かける前日、八十八番札所鎮国寺へ総務部長・秘書係長同道の上お参りいたしました。鎮国寺は宗像大社の近く屏風山に位置しており明治維新の神仏分離により一時衰退しましたがその後本堂も建立され五仏堂にはご本尊大日如来が納められております。さらに最近の世相にも鑑み「ぼけ封じ三十三観音霊場」等も創設され九州における真言宗の重鎮としての存在位置づけになっているようです。

鎮国寺のご詠歌
 たみやすく 鎮まる國は み仏の 深き誓いの しるしなりけり

お参りを始めて2年八十八の霊場巡りは終わりました。

地域の状況を知り、歴史を知る事は九州を考える上で大変役に立ちました。九州が日本の歴史・文化の原点であること、私なりに理解できたようです。この2年後平成8年1月、5年近くの九州勤務を弘法大師のご加護の元無事に終えて東京へ戻ることとなりました。

南無大師遍照金剛 合掌 

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