第4回
〜 「日本語教師として:好意を持って教え、敬意を持って教わる」 〜
桐原 征雄

2009年ベトナムからの帰国後に、3度目のトルコ旅行として地中海沿岸の古都アンタルヤ、海中に没したケコヴァ遺跡などを単身訪れる予定でしたが、出発の3週間前に胃癌(stage3)が見つかり、即旅行キャンセルして摘出手術を受けました。(トルコ航空の飛行機に乗る予定の日に、手術室へのストレッチャーに乗ることになってしまいました)
手術後、抗癌剤服用を1年間続けましたが、免疫力が低下し、外出が困難になりました。しかし社会的孤立を避けたいと思い、手術から半年後に自宅でも出来るプライベートのオンラインレッスン(Skype利用)を開始しました。
以来、オンラインレッスンを中心に行い、抗癌剤治療終了後は対面レッスンも加えて様々な年齢、国籍、職業の人々(約30か国)に、様々なレベルのレッスン(入門~超上級やビジネス会話など)をしてきました。
短期で終わる生徒もあればお互いがうまく合って、5年以上に亘って続けている生徒もいます。
日本での仕事がうまく行くように、また生活や文化を安全に楽しめるように、一人一人の背景、レベル、目的に合ったテキストや資料を選び、各人に適した問題を作成したり、興味を持ちそうなトピック(社会、文化、歴史、技術など)を提示したりしました。 また、日本企業への就職が内定している留学生に対して私自身のビジネス経験(成功例や失敗例)を具体的に紹介して、うまく活用してもらうように心がけてきました。 ICT分野との関りとしては、ある日本語学校から「ICTやソフトウェア関係の技術者が増えつつあるので、システム開発におけるビジネス会話のテキストを作ってほしい」との依頼があり、ソフトウェア会社での勤務経験と、日本語ビジネス会話指導の経験を生かして、システム受注から総合運用試験に至るまでのステップでの会話テキストを数年がかりで作成しました。完成・納入はしたけど、余り活用されていないようでちょっと申し訳なく残念な気持ちです。
文法的に正しく、且つ自然な日本語を使いこなすためには、レッスンの中で勉強した文法や言葉を使って表現することが有効と考え、作文を強く勧めてきました。毎回素直に提出する生徒もいれば、遂に最後まで一度も書かない生徒もいて様々でした。生徒の作文は、とても興味深く、教わることも多くあります。
以下、いくつか紹介します。

1.生徒の作文からの学び

① カナダのSさん
日本及び世界での社会的トピック(難民問題、米大統領選など)、文化的トピック(トリエンナーレ、中国映画事情等)について資料を提示してくれ、読み合わせや議論などを行いましたが、特に以下の作文で多く教わりました。
自分の親戚ではないが、同姓ということでWilliam Sturgisについて紹介してくれました。私たちは中学か高校で明治時代に日本の伝統文化を守った人としてフェノロサを学びますが、実はその裏で一緒に来ていたWilliamが、フェノロサや岡倉天心たちの活動費を出し、自ら各地のお寺を訪れ援助していたということを知りました。多大な尽力によって収集した歌川国芳、国貞らの膨大な浮世絵コレクションをボストン美術館に寄贈してくれ、そのお陰で現代の私達が恩恵を享受できます。2016年に、渋谷Bunkamuraで里帰りとなる「ボストン美術館蔵 “俺たちの国芳 わたしの国貞”展があり、多くの素晴らしい作品を楽しむことが出来ました。 更なるおまけとして、国芳のお墓が、私が住む小平市内のお寺にあることを知り、お礼のお参りをしてきました。日本文化を大切にしてくれて、資金援助だけでなく実際に神社やお寺を訪ね、更に保存・寄贈までしてくれた明治の外国人の見識と貢献を学ぶことが出来、心から感謝しました。
② アメリカのJさん
自分なりに調査・整理した「宇宙創成~地球創生~生物発生」の歴史をまとめて発表するということで、その手伝いを通して、ビッグバンやジャイアントインパクト、シアノバクテリア、更には大酸化事件、スノーボール(全球凍結)など様々な地球の出来事や現象を新たに知ったり、確認したりしました。
またJさんは日本のいろいろな土地を訪れて土地の人と仲良くなったり、様々なイベントに非常に積極的に参加したりする行動派でもありました。 その姿勢を見習って、私たち夫婦も初めて浅草・三社祭を見に行き、テレビで見るのとは違う興奮や雰囲気を味わいました。やはり実際に現地に行って楽しむことの大切さを学びました。
③ ロシアのEさん
転職の手伝いとして履歴書作成や面接練習を行いましたが、有能且つ熱心で真剣に議論し、こちらがタジタジとなるほどでした。頑張りの甲斐あって、経験や能力を発揮できそうな会社にうまく転職成功しました。新しい職場でも、より自然な日本語を使いこなせるようになりたいということで、様々なテーマの作文を基にレッスンを続けました。 ある時の議論の中で、私のコメントに関連して、バルザックの「あら皮」や、オスカーワイルドの「ドリアングレイの肖像」等との類似点や相違点を指摘してきました。バルザックなどの名前だけは知識としては知っていましたが、実際に作品を読んだことがありませんでした。Eさんの教養の深さに驚くと共に、これをきっかけに本物の文学作品を読んでみようと思いました。実際には、細かい字を読むのは苦しくなっているため、朗読による「聞く読書」を楽しんでいます。様々な作品に触れ、目を開くきっかけを作ってくれたことに大感謝です。
一方で、私も自分で読んで印象深かった本などを紹介し、Eさんの世界を広げることにも少しは役立っているかなと思っています。
④ オランダのTさん
YouTubeなどで勉強した情報を基に自分なりの調査・考察を加えて作文してきます。「お金の話」「自己啓発」或いは「ゴッホと印象派」「哲学史」「数学史」など様々なテーマについて日本語の修正や議論を行っています。
最近「ファクトフルネス(Factfulness)」というテーマを出してきました。私は全く知りませんでしたが近年の世界的ベストセラーということです。著者はスウェーデンの医師達で様々なデータを基に洞察しており、簡単に言えば、「人間の脳は本能的に間違えることがあるので、そのことを知ってデータを基に正しく理解しよう」ということのようです。例えば、ネガティブ本能(ネガティブ面に注目しがち)、過大視本能(ただ一つの数値が重要だと感じる思い込み)、焦り本能(今やらないと大変なことになるという思い込み)など10の思い込みの本能を挙げています。
もう少しよく理解したいと思い、調べたところ興味深いことに当たったので紹介させていただきます。
例えば著者は過大視本能の例としてベトナム戦争を取り上げ、ハノイでの経験として
・抗米のベトナム戦争:約20年間    池の畔のとても小さな記念碑(3feet・90cmくらい)
・抗仏のベトナム戦争:約200年間   なかなか立派な記念碑(12feet・4mくらい)
・抗中のベトナム戦争:約2000年間  巨大な記念碑(300feet・90mくらいの金色仏塔)
つまり「戦争の期間と記念碑の大きさが一致している」と紹介しています。
ここで著者はこのデータを基に「(抗米の)ベトナム戦争だけ見ると長くて大きい戦争と考えがちだが、実際には抗仏あるいは抗中の戦争と比べると非常に小さいものだ。他と比べずに一つだけ見ると過大視して判断を誤る」と言います。実は「抗米ベトナム戦争の記念碑は、とても小さい」と言うのは確かに正しいけど全てではなく事実の一部でしかありません。
実際の対米ベトナム戦争の記念碑は、以下に示すように、本で紹介されている小さなものから撃墜された巨大爆撃機まで種々あります(これはハノイに住んでいたからこそ分かることですが)。
●池の畔の記念碑:2019年に死去した米・ジョンマケイン氏がハノイ上空で撃墜された記念碑(2m程度)
●戦闘機:ハノイ中心部の軍事博物館にあるF111A戦闘機の撃墜残骸 (全長22m)
●爆撃機:ハノイ中心部の戦勝博物館にあるB52爆撃機の撃墜残骸 (全長56m)
このように、抗米ベトナム戦争でも巨大な記念物があるのに、それらには目を向けず(気が付かずに)「20年という短期間の戦争に相応しい小さな記念碑」だけを取り上げています。原文を見ると、案内役のベトナム人が「著者が池の畔の小さな記念碑を見て失望したので、もっと大きな記念碑を見せよう」と抗仏や抗中の記念碑を案内しています。これで著者は「抗米のベトナム戦争記念碑は失望する程小さい」と思い込んでしまった訳ですが、データの正確さを期するためには、“網羅性”を考えて「抗米ベトナム戦争の記念碑はこれで全てか?」と尋ねるべきであったと思います。 彼が提唱する「本能に囚われずにデータを正しく判断・評価する」ことの重要性は、この本の提案の通りですが、正しく理解・判断するための基になるデータを、真に客観的で網羅的に得ることが一番難しいように感じます。
このように様々な背景、興味を持つ生徒たちと、互いに紹介・議論しながら、日本語能力向上を図るとともに互いの知識・見識を高めるようにしています。

2.コロナ禍を奇貨として生徒間ミーティングや発表会の開催

「~を奇貨として」という表現は、「一見すると不利、或いは無意味なものだが、使いようによっては利益をもたらす」という意味と知ってはいましたが、使ったことがありませんでした。今回、コロナウィルスで様々なリアルの活動に制約が生じていますが、これを機に従来考えていなかったオンラインでの活動をやってみようと思い立ちました。
これが正に「コロナ禍を奇貨として、新しい活動に生かす」だと思います。
ここで余談ですが「奇貨」についてお話ししようと思います。昨年(2019年)、漫画、アニメそして映画実写版で評判になった「キングダム」という作品があります。中国の戦国時代に、中華統一を目指した秦王えい政(後の始皇帝)と、大将軍を目指す孤児との物語ですが、この中にえい政の父親(王族の一員)が秦から隣国の趙に人質として送られて不遇にあった時に、趙の商人・呂不韋がその父親と出会って「奇貨居くべし」として厚遇・支援し、最終的に呂不韋は秦国の首相になったという話があります。
さて閑話休題、話を元に戻しますと「新しい活動」として具体的には、生徒達がまとめた資料をMeetingシステムで紹介してもらうということです。作文を作った生徒にとっては多くの人に自分の成果を発表し、様々な意見をもらえる場であり、聴講する生徒たちには新しい知識や見識に触れる場になります。
第一回目は、私自身が若い頃にお金の勉強を殆んどしなかったので、生徒達にはしっかり勉強してほしいとの思いから、お金に詳しい分野の生徒に、増やし方、守り方などを発表してもらいました。参加した生徒達も楽しんでくれてこれをきっかけに勉強したいと言ってくれました。従来のレッスンは教師-生徒という関係でしたが、これを生徒-生徒の関係に広げて、様々な国の学生たちがそれぞれに発表し、学び、意見を交わす場にしたいと考えています。

3.交流会の実施

これまでに教えた生徒たちの交流の場として、年に1回都心の地域センターでランチ交流会を開いたり、あるいは生徒が経営するレストランで結婚や転職、試験合格などおめでたいことがあった時に共有しあう「あやかりパーティ」を開いたりしています。このようなイベントは基本的には私個人の行事ではありますが、やはり妻の協力があった方がいろいろ好都合なので何度か頼んで途中の回から参加してもらうようになりました。
教師の私だけではなく、普通の日本人のオバサンが入ることで、生徒やその奥さん達が話しやすい話題で賑わったり、一方妻も普段の付き合いとは異なる人々との交流を楽しんでいる様子で、少し無理してでも参加してもらってよかったと思っています。また妻には日本語レッスンでも時々協力してもらうことがあります。生徒の作文をチェック・指導する際に、日本語教師の立場ではどうしても厳密さ・正確さを重視しがちですが、普通の日本人の感覚ではどう感じるか、どんな言い方をするかなどについて妻の感想や意見を求め参考にしています(この協力に対しては時々お礼をしています)。
また十数年前に教えたハノイを時々訪れ、生徒やスタッフとの交流を楽しんでいます。ハノイの日系企業で幹部社員として活躍している者や、日本での企業勤務の後に帰国・起業して社長になって活躍している者、あるいは私の訪越の際にはハノイから数百キロ離れた国境の町からパーティに駆けつけてくれる者もいて、それぞれの、健康と成長を喜んでいます。

4.日本語教師について

退職後は話す相手が少なくなり言葉を発する機会も少なくなって認知症のリスクが増すと言われていますが、日本語教師は様々な文化背景を持つ生徒を相手に大きな声でハッキリ話す必要があり、更に新しい知識との触れ合いや、生徒の奇妙な表現について考察するなど脳の老化防止には最適の仕事だと思います。
また対面レッスンは生徒のオフィスやカフェで行うので、新宿、渋谷、恵比寿の他、六本木&日比谷ミッドタウンなどを訪れ、自称「プチ田舎」の小平市とは一味違う最先端の地域や人々の様子に触れることができました。
働き方としては、地域のボランティア、日本語学校の非常勤/常勤講師、プライベートレッスン講師などいろいろな形があります。シニアの場合、「生き甲斐が大切で、金額の多寡ではない」としてかなり低めの料金設定をする場合もあるようですが、そうすると全体の料金相場が引き下げられ、若い日本語教師の働く機会が少なくなるという心配もあります。 日本語教師の時給は、非常勤講師の場合レッスン1時間で2000円~2500円程度ですが、実際には授業時間の数倍の準備や後処理があり、実質的には数百円となって、コンビニのバイト以下になってしまいます。これでは日本語教師で生計を立てていくのは困難であり、日本語教師養成講座の同期でも、結局教師を辞めて転職した若者が何人もいました。
シニアには出来れば低料金で競り合わず対等の立場で、或いは若い教師にはない経験や専門性を生かして競争し、生徒に選んでもらえるようになっていただけたらと思います。

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