第3回
〜 「ベトナムでの生活経験(2)」 〜
桐原 征雄

【交通】日本の折り畳みサイクリング車を持参 バイク経験

① ベトナムの自転車は冴えないと聞いていたので、日本から折り畳み式サイクリング車を持って行き、勤務先へ通っていました。美しい青色の自転車で職場の先生、スタッフや、通りすがりの人からも「わぁ、きれい!」と言われてチョット鼻高々でした。自転車持ち込みの分、衣類その他の生活用品が少なくなりましたが、それは現地調達と割り切って正解でした。結構品質の良いものが多く、ハノイで買って現在でも愛用しているものが多数あります。

② ハノイ市内の全道制覇を目指し(日本でも勤務先周辺の道路を自転車で網羅的に巡っていました)地図を片手にあちこちを走り回っていましたが、転職先の社長がバイクを提供してくれて、市内、近隣、郊外(~100km程度)と行動範囲を広げました。ある学生から「60才以上は無免許でもOK」との話を聞き、2年間乗り回していました。(その話が本当だったのかどうかは、その時もはっきりしなかったけど信用して乗っていました。)

③ 旅番組で、ベトナムの町中でバイクの流れを横断するシーンを見ることがありますが、実際にバイクの運転側から見ると、横断する歩行者の様子・気配、それに隣を走るバイクの様子も見ながら、スピードや方向をコントロールしていました。ですからベトナムで道路を横断する時は、急に立ち止まったり走りだしたりしない限りバイクが避けますから安心ください。

④ バイクの台数が多いだけに事故は結構起きますが、一般にスピードをあまり出さないのでひどい事故は少ないです。バイクの渦に巻き込まれると抜け出るのが大変なので、交差点でもなるべく先頭に出て、青になった途端にハイスピードで飛び出し群れを引き離して走ることで安全に運転できていたように思います。とは言え自分自身の交通事故が皆無だった訳ではなく、一勝一敗一引き分けと言ったところです。一勝は自転車との衝突で相手を押し倒したこと、一敗は信号待ちの交差点で追突されたこと、そして一引き分けは対向するバイクと擦れ違いの際に接触して互いに足を火傷したことです。

⑤ ラウンドアバウト(round about:ロータリ交差点)での方向転換が超凄いです。パリ・凱旋門のラウンドアバウトが有名ですが、ハノイのカウザイ(Cau Giay)交差点での混雑具合はまさにカオス(混沌)状態です。見渡す限り何百台のバイクと自動車がひしめき渦巻いている中にバイクを突っ込んで行き、隣と接触しながらジリジリと方向を変えて目指す方向へと進みます。10~20分位かかってこの交差点を無事通過できた時は、本当にホッとした気分になります。このホッと感が曲者で、暫く経つとまたあの渦を通り抜けたくなったものです。

⑥ 良く言えば自由で融通だらけ・・・規則が無いわけではないのでしょうが、かなり自由に解釈しているようです。バイクに3、4人乗りは当たり前、5人乗りを見たことがあり、またバイクの何倍の長さもあるような巨大な荷物を載せて運搬していました。地方や郊外では道路脇で一升瓶に入れたガソリンをおばあさんが売っており、何度か利用しました。バスはバス停で完全には止まらない状態で乗り降りするので、慣れるまでとても緊張します。一方、高齢者が乗ってきた時には、車掌さんが若者を立たせてお年寄りを着席させるなど優しい面もあります。

【食物】ベトナム食一色の感じ 家庭では和食に近いことも。

① 町中の食事処は殆んどベトナム食(米麺の鶏肉/牛肉フォー、焼肉つけ麺のブンチャー、お粥等)一色です。日本では都会だけでなく、地方でも中華、韓国、イタリア、フランス、ベトナム、インド等々多彩な食事が提供されますが、ハノイの私の地区では和食店が4軒(うち2軒は接待用の高級店)の他には、仏レストラン1軒、中華店1軒、韓国店1軒だけで、ベトナム料理店が99%以上の感じでした。
一方、日本では見られない「犬肉」もあります。それほどポピュラーではないけど、隠れて密かに売っているという訳でもなく、あちこちにレストランがあります。学生から勧められましたが残念ながら私には無理でした。
地方に旅行した際には、もっと様々な動物肉を提供していました。

② 新鮮食材 近所の市場では豆腐をその場で作って売ったり、鳥や魚を生きたまま、あるいはその場で捌いて販売したり、だいたい冷蔵設備が無いので、その日のうちに売り切るようです。屠殺したばかりの豚を市場に運んできて(1台のバイクで家族4人乗りして、足元に1頭の豚を置いて運搬しているのを見ました)、その場で解体して販売しているのを見るとやはりビックリします。しかし、日本でも「マグロの解体ショー」があり、観客が楽しんで見て、その場で寿司として食しているのを見ると、大差ないのかなと感じます。熱帯の果物は多種多様、美味安価で特にサトウキビを手動で搾ってくれるジュースが格別でした。またチェーと呼ばれるデザートがありますが、私の気に入りは「冷やしあずきぜんざい」でした。

③ 寄宿していたアパートでは、頼めば晩御飯を出してくれましたが、その料理は日本の普段の食事に似ている物も多く、茄子の煮つけのようなものや、筍の炒めなども食べたことがあります。また市場では、日本と全く同じ焼き芋もありました。会社の同僚(日本人女性教師)が野菜スープを作っているのを見て、自分でもやってみようと思って作り始め、それからレパートリーを増やし、半自炊の生活が出来るようになりました。

【人々】譲り合うことを知らない人々、知らないことでも教えてくれる親切な人々

① 「急がば回れ」とか「お先にどうぞ」を知らないようです。信号故障の交差点ではとにかく先へ先へと突っ込んで行ってガチガチの状態になり、また世界遺産の洞窟を舟で訪れた時は、女性船頭さん達が先陣争いで凄いバトルでした。日本では「お先にどうぞの譲り合い」や「他人に迷惑をかけない」「周囲への思いやり」などを家庭や学校で教えますが、もしかしたらベトナムではそのようなことを教えていないのではないかと感じました(私の個人的な感想ですが)。しかし今回の新型コロナウイルス禍という非常事態では、ベトナムでの人々の助け合いの様子などが放送されていて、いざとなればどこでも助け合いはあると思いました。
その一方、日本では残念なことに他人に迷惑をかけることを気にしない自分勝手な人も、あちこちで現れてしまい、偉そうなことを言えなくなりました。依存症かも知れませんが、平常時には立派なことを言っても、非常時には残念な部分が現れてしまうことが明らかになってしまいました。今回の禍を乗り越えた暁には、この反省を基に、より良い人間性をより深く身に付けられるようにしなければならないと感じました。

② 全般に親切だが・・・尋ねられて知らない事でも、知らないと言わない位親切です。地図を見せながら「こっちの方向でOKか?」と尋ねると、例え知らなくても大抵頷いているようで、その結果、却って迷うことが何度かありました。ある学生の実家(ハノイから100Kmほどの田舎町)に遊びに行った時、海岸近くのホテルに泊まりましたが、滅多に外国人が来ないためか、夜に公安(=警察)の訪問を受けました。ホテルの人が、外国人が泊っていると通報したらしい。ベトナム語での質問に対して何とか答えていたが、最終的には学生宅に連絡して身元保証(多分)をしてくれてやっと解放されましたが、公安の取り調べという、滅多にない経験でした。

【学生、現地教師たち、会社スタッフ/JICAスタッフなどとの交流】

① 多くの学生が誕生会を催してくれて人生で最も多くの人(若者たち)が集まって、お祝いしてくれた。仲秋の月見会に招待してくれて趣のある時間を楽しんだり、逆に私が、学生達も行ったことのない中越国境の滝見物を計画して案内役を買ってくれたりしました。(中越の国境警備隊が滝を挟んで対峙しており、緊張感がありました)

② 現地教師や学生たちを呼んでの食事会を開き、日本で覚えた得意料理(牛すね肉のビール煮、ちらし寿司等)をご馳走しとても喜ばれました。頑張った学生たちを近所の大衆日本食堂やラーメン店に呼んでご馳走したこともありますが、やはり手作りでご馳走するのはとても効果があり、おススメです。

③ 会社スタッフの結婚式がハイフォン市(ハノイから100km)で行われ、ローカルスタイルの宴会を楽しみましたが、帰り道でベイブリッジによく似た橋に親近感を持ちました(後で調べたら、日本の企業との協力で作ったものでした)。

④ 日本食レストランに飲みに行く事は経済的、個人的な理由からほとんど無く、勤務する学校以外の日本人とは繋がりがありませんでしたが、偶々JICAの酪農生産技術者と知り合いになり、情報交換したり、互いの正月料理を持ち寄って祝ったりもしました。

【その他】

① 病院:眼科と歯科の世話になった。知り合いの日本人教師で、歯の治療を受けるために日本に帰った人もいましたが、私はそれほどのこだわりや不安を持たなかったので、現地で治療してもらうことにしました。ただし、症状を正しく伝えるのに、私のベトナム語では無理でしたので、生徒やベトナム人の同僚教師に付き添ってもらいました。歯の治療の際は、X線撮影専門の病院で顔の全周を撮影するような技術もあり、安心して治療を受けることが出来ました。多分、日本の治療費の数分の一程度だったと思います。ベトナムの歯科治療もなかなかのものだと実感しました。

② TVニュース番組 ベトナムは多民族国家(85%を占めるキン族の他に53民族)で、全く異なる言語・文化を持っています。それで番組によっては、多種多様な色、デザインの民族衣装のアナウンサーがそれぞれの言葉でニュースを伝え、ベトナム語訳が表示されます。

③ 温泉:ハノイから約100km離れた省に温泉があり、しかも三連水車が見られるということで、バイクを飛ばして訪ねました。当時は温水プール(かなり低温)のみでしたが、最近は本格的な温泉施設が出来たようです。

④ スポーツ ハノイ市内の公園では大勢の人がバドミントン、ダカウ(蹴羽根)、ダンスなどを楽しんでいますが、プールは70Km離れた山の中(「王の池公園プール」)にしかなく一度だけ行きました。ここには、茨城県の「袋田の滝」そっくりの三段の滝があり、人々が着衣のまま水浴を楽しんでいました。この他にグラススキー場があり、秋の季節でしたが初めてチャレンジしました。(ハノイに四季はありますが雪が降ることはありません。北部の避暑地サパではたまに雪が降るようです)

⑤ 伝統 ハノイ市内、近郊の伝統工芸村(刺繍村、版画村、陶芸村、木工村その他多種)そして遠く離れた土地の様々な祭りを訪れ、歴史や文化、料理を体験しました。時には「ベトナム文化理解のために」と言って休講にしたこともあります。お寺の祭りでは日本でも最近はあまり見ないポン菓子があったり、ブランコや竹馬など昭和の時代の懐かしいものが大切に取り入れられていました。

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