第4回
〜 アメリカ映画が描いた日本と日本人 〜
スクリーン憧子

アメリカ映画が日本を描くテーマとして最も多いのは1941年12月8日(アメリカでは7日)の太平洋戦争の開戦とその戦中、戦後である。アメリカ自身は非参戦思想だったのだがこの国に一挙に参戦を決断させ、戦争に突入させたきっかけは日本の真珠湾攻撃だった。
「ゴッドファザー PARTⅡ」の終盤、コルレオーネ家の後継と目されていたアル・パチーノが真珠湾攻撃の後、アメリカ中の若者が我遅れじ・・と志願する中、自身も志願兵になっていく時の兄弟たちとの会話で「日本人が石油を止められ、腹いせに真珠湾を攻撃した・・・」と述べるシーンがある。
不信、対立、憎悪の開戦時から、戦後は戦勝国アメリカとその支配下に置かれた日本との和解、友好への多面、多岐かつ密接な関係が構築され現在に至るまで持続されていく。
真珠湾攻撃自体を扱った作品は言うに及ばずこのように作中に日本の真珠湾攻撃や日米間の戦争が登場する場面を織り込んだ映画は数えきれないほどあるだろう。
今回は数多ある太平洋戦争をテーマにした映画の中で2作品を取り上げたい。

一つは2014年の作品「UNBROKEN 不屈の男」で、もう一つは戦後間もない1951年(昭和26年)制作の「二世部隊(原題:Go For Broke!)」である。
1.「UNBROKEN 不屈の男」(UNBROKEN:2014年作)
監督アンジェリーナ・ジョリー、主演ジャック・オコナー
主人公ルイ・ザンペリーニはロサンゼルス市のすぐ南に位置するトーランス市で育ち、ベルリンオリンピックの5000メートル競走で米代表となって参加し脚光を浴びた頃が最初に描かれる。
イタリア系の貧しい移民の家族で育った幼少期、優秀な兄弟をもっていたが主人公ルイは飲酒、喫煙、窃盗などを繰り返す悪童ぶりを発揮する。しかし警察に追われても負けない逃げ足の速い脚力に兄ピートが着目しピートはランナーとしてこの弟を育て上げていく。
頭角を現した彼はついに高校生ながら5000メートル競走の米国代表になり1936年開催のベルリンオリンピックに参加した。8位入賞という目立つ成績ではないが最終1周で驚異的な追い上げを見せ観戦していたヒトラー総統の目に留まったと記録されている。
本人は次の1940年東京オリンピックを自分のベストの時期と考え、出発する時兄ピートに「東京オリンピックを期待してくれ」と話すシーンもあった。
その後、米陸軍航空隊に所属しB-24爆撃機の射撃手として従軍する。日本のゼロ戦との交戦後、機は損傷しやっとの思いで帰り着く。ほどなく偵察機の搭乗員となるが太平洋を偵察中に機体の不調で墜落、生き残った乗員3名と太平洋上に小さな2隻の救命ボートで47日間も漂流を続けた。1948年5月のことである。漂流中に1人は死亡。やっと救助されたがそれは敵国日本軍だった。
最初に収容されたのは、ナウル島でここは日本軍による捕虜虐待のひどいところであると米軍に認識されていた。斬首などの処刑もあったようである。捕虜生活の生死すれすれの余りの極限状況に主人公を含む捕虜たちは精神的にもダメージを受けていく。

日本軍は当時の捕虜収容に関する世界の協定を理解していなかった。米軍の元捕虜によれば「当時の日本では捕虜の立場は最低だとみなされていた。投降する奴は人間以下・・・という扱いで人間としての扱いは与えられず、耐えるしかなかった・・・」という。その状況は映画の中で執拗に表現されていく。残虐な扱いの描写はデビッド・リーン監督の名作「戦場にかける橋(1957年)」にも描かれているがこの映画の描写はその比ではない。
貧弱な衣食、劣悪な環境、何かの理屈をつけてのすさまじい殴打、いつ処刑されるか分からない恐怖は捕虜全員が常に抱いていた。作業も強烈な悪臭を伴う下肥汲みと運び、入浴も無し・・・など非人間的処遇が続く。ここまで虐待される米軍捕虜の姿も、ここまで追い詰められ希望のない捕虜の姿もこれまでの映画では見た事が無かった。
しかしルイが元オリンピック長距離走のアメリカ代表だったことがプロパガンダ活動に利用できると考えた日本軍はルイを大森捕虜収容所へ転送する。一度は米本土の家族へ自分が生存していることをラジオ放送で伝えたルイだが次に要求された日本擁護のプロパガンダ放送を拒否したことにより自身への虐待はますますエスカレートしていく。
第二の収容所になり終戦まで過ごすことになるのは新潟・直江津で、環境はさらに悪化した。全身石炭による汚れで真っ黒となり、入浴もさせられず、最早人間の尊厳はおろか生物としての条件さえ整っていない環境で、捕虜たちは常に一挙に処刑されるのではないかという恐怖の生活が続いていた。
ちなみにこの映画は公開前に余りに日本軍による米軍捕虜処遇の描写が残酷すぎるとして物議をかもした映画でもある。その捕虜生活の悲惨、凄惨さは言語を絶し、余りの日本軍の米捕虜への虐待ぶりに国内でも問題になった。
国内の反対を考慮した映画会社は公開をきわめて慎重に行った。アメリカでは2014年12月に公開されたが日本では2016年2月に一部の館でひっそりと始まったのである。
然し私はこの映画の主題として、アンジェリーナ・ジョリー監督が主張したかったことを考えるとそれは正しくないと思う。監督を務めた彼女が言うのはこの映画の主題は「赦し」である。またアンジェリーナ・ジョリー監督は日本軍の動きに並行し一般市民生活の疲弊や爆死した犠牲者の姿をも描いている。
やっと1945年の終戦を迎え日本軍捕虜としての壮絶な経験を乗り越え、生き延びて故国アメリカのトーランス市へ帰還した。しかし捕虜時代に受けた余りの非人間的処遇に心身ともに壊れてしまっており故郷トーランス市での新婚生活も常に危機をはらんでいた。
辛うじて立ち直ったきっかけは妻が必死に進めたキリスト教への帰依である。映画の前半にルイが子供の頃家族と通った教会のシーンが何回か登場し、彼の後半の人生への伏線となっている。
牧師は「Forgive thy enemy(汝の敵を赦せよ)」と説き、また「神は明るさとともに闇を作った。そして双方を認めた。」と告げる。幼いルイにはその深淵を理解できなかったかもしれないが長じてその信奉者になっていった。苛酷な経験をした帰還兵が夜ごとうなされ悪夢に悩まされるのはよくある事例でルイも例外ではなかった。
然しついにルイはキリスト教への帰依により悪夢からも解放され平常心を取り戻していく。苛酷な境遇を科した日本人を赦し、手を差し伸べていくというのが実話に基づく物語である。ルイは日本を憎むことよりも赦し、愛することへ変わっていった。
この映画のDVDには余話が多く紹介されているが彼が戦後の東京裁判で巣鴨プリズンに収容されていたかつての収容所の看守たちを訪ね「赦す」と伝えた事、1998年の長野冬季オリンピックに81歳の年齢で聖火ランナーの1人を務めたことも紹介されている。喜々とした聖火ランナーの表情には最早恨みや恐怖はなかった。
一男一女の子供たち、親族たちの談話が紹介されルイが晩年は憎しみや恨みと縁がない穏やかな表情と心を持った人物になったことが語られる。
不幸な戦争を契機として織りなされた人間愛を描いた作品として一見を勧めたい。ルイは2014年に94歳という長寿を全うして故郷のトーランス市で没した。トーランス市には今もルイ・ザンペリーニの名を冠した飛行場があり彼を偲んでいる。

2.「二世部隊」(原題:Go For Broke! 当たって砕けろ!1951年)
監督ロバート・ピロシュ、主演ヴァン・ジョンソンと第442連隊日系二世兵士1951年(昭和26年)作だから戦後まもなく製作され、公開された作品であるが注目すべきはあの第二次大戦終了後わずか6年後に作成されたにも拘らず日本人に対する高い信頼と評価がテーマになっているのである。
ヨーロッパ戦線に派遣された日系二世部隊の決死の活躍、戦歴を事実に即し描いている。主演のヴァン・ジョンソンのほかは実戦を戦い抜き、生存した日系兵士6名が脇役を務める。
真珠湾攻撃後日系人12万人はアメリカ国籍を持っているにも拘らず敵性外国人と見なされそれまで築いた財産も地位もなくなり米本土内の10箇所の強制収容所に送りこまれることになった。真珠湾攻撃が日本人への不信と憎悪をかきたてた証である。収容所は人間の住環境には程遠い劣悪なものであった。
しかし日系二世は行動を起こす。若い世代に従軍の意向が高まってきた。不当な扱いに屈せず、「敵国人」の汚名をそそぐため自分の国アメリカのために戦わねばならないという義務と日本人の名誉を取り戻すという使命感である。
初めは疑心暗鬼だった米政府もヨーロッパ戦線の拡大による兵員の不足があり収容中の日系二世の中でもアメリカに忠誠を誓うなら兵員として任用すべきであるとの判断に至った。
志願した多数の日系二世の若者によって第442連隊(戦闘部隊)が結成され同時期にハワイを中心にした日系二世の志願兵により第100大隊も結成された。
当初米軍本部は日系部隊に対する不信から重要な任務を与えていない。
しかし日系二世部隊は敢えて第一線への任務を希望した。失墜した日本人の評価を取り戻し認めさせるには命を賭けた戦闘行為で証明するしかないと考えたのである。
彼らの忠誠心と活躍は目覚ましく、派遣された戦線で命を賭けた戦闘を繰り広げていった。日系二世の命がけの戦いぶりは次第に信頼度を高め、日系二世部隊を重要かつ危険度の高い戦場で使おうという機運が強まっていく様が映画でも描かれていく。
戦績の一例を紹介すると欧州戦線で米陸軍テキサス大隊がドイツ軍に包囲され全滅の危機にあったとき第442連隊が救出に派遣された。激戦の末テキサス大隊211人は救出されたが第442連隊は216人が戦死し、戦傷者を含め800名が犠牲になったことが映画終盤に歴戦の一つとして描かれている。
1944年10月のこの作戦には多くの疑問も提起され、他のテキサス隊が救出活動が出来る位置にいたにもかかわらず第442連隊に出撃命令が出ているのが分かっておりまだ根強く残っていた日本人への憎悪・偏見が生んだ消耗部隊の感も否めない。
この時のエピソードがある。この戦果を讃えようと師団長が部隊を訪れることになった。ところが師団長の前に整列していたのは少数の兵士達だったため、師団長は不快な表情で「全員を集めておけと言ったはずだ」と叱責した。
しかし「今ここに立って貴方を迎えることのできる兵士の数はこれだけです。あとはすべて戦死、戦傷しました」と返答され言葉が無かったという。
彼らが参戦していく戦線が増すごとに驚異的な勲章の数が増大し、後に勲章部隊と呼ばれるほどの顕彰を受け米軍史上最強部隊とも称された。それが日本人への認識を変えて行ったことは言うまでもない。
映画の最終場面では当時のトルーマン米大統領がこの第442連隊を大統領栄誉賞で表彰する実録シーンが挿入されている。彼らは大統領から直接迎えられた史上唯一の部隊となった。トルーマンは彼らを讃えてこう表現した。
「諸君は敵と戦っただけでなく偏見とも戦った。そして勝ったのだ」・・・と。

ロサンゼルスにある「日系二世博物館」を2016年に訪ねる機会があった。米本土からの第442連隊やハワイからの第100大隊の戦果と共に収容所での生活ぶりを写真を中心とした豊富な資料で表現している。
最悪の環境での生活ながら日本人同士の助け合いや束の間のレクレーションタイムに皆がこぼれるような笑顔を見せている光景には救われる思いがした。
アメリカは自国民であった日系二世を敵性外国人として強制収容したことを後にレーガン、ブッシュ(父)大統領の時代に謝罪し法制化を行った。
1991年その謝罪と補償を感涙をもって受けている日系二世の収容所生活経験者数名の写真を見た時は胸が熱くなった。アメリカという国の正義感も感じることが出来た。
1951年作成の古く貴重な映画「二世部隊:Go for Broke!」を発見したのもこの博物館だった。庭には日系二世兵の活躍を称する“Go for Broke!:当たって砕けろ”記念碑が建立され、参戦した多くの兵士の名前が刻まれている。

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