第6回
〜 「幸せの黄色いハンカチ」の原点はソビエト映画 〜
スクリーン憧子

 日本映画に不滅の足跡を残す山田洋次監督作品の中で伝説的な名作である「幸せの黄色いハンカチ」の原点はソビエト映画「誓いの休暇」ではないだろうかというのが私の持論である。・・・というよりそれ以外の何も私には考えられない。
「幸せの黄色いハンカチ」は1977年に公開された。殺人罪の服役を終え網走刑務所を出所した高倉健が家に帰ろうとするが妻が果たして自分を受け入れてくれるかどうか分からない・・・受け入れてくれなくてもその覚悟は出来ているつもりだが願わくは自分が家に近づいたとき迎えるか拒絶するかを遠くからでも見えるように黄色いハンカチで表しておいてくれ・・・という願いの手紙を妻あてに送っていた。 
途中で偶然一緒になった若者が事情を知り同行を願いでる。男は妻が待ってくれているという自信は持てないが出来れば迎えてもらいたいというほのかな願いを抱きながら不安の中で家に帰り着く。待っていたのは妻の愛情を込めた黄色いハンカチのはためきだった。 
私自身はこの作品の原点はこれから述べるソビエト映画「誓いの休暇」(1959年作)だと確信している。我が青春時代の最も印象に残る作品の一つで半世紀以上たった今思い出してもあの若者二人の微笑ましくほのかな愛の芽生えとそれを無残に遠ざけていった戦争と環境を想起すると哀惜の念を禁じ得ない。
敬愛する山田洋次監督とその作品に影響を与えていると私が確信するこのソビエト映画を今回は語らせていただきたいと思う。

1.「誓いの休暇」をなぜ「幸せの黄色いハンカチ」の原点と考えるか?

 「誓いの休暇」は約1時間半の作品であるが、その最初の20分に一つのエピソードが登場する。アリョーシャはまだ19歳のソ連兵士、ドイツ軍からの戦車攻撃を受けるが幸運にも自分が放った対戦車砲で2台の戦車を擱座させるという手柄を立てその褒美に6日間の帰省休暇を与えられた。広いソビエトのこと、行きと帰りにそれぞれ2日を要し家に滞在できるのは僅か2日間だが、優しい彼は母が困っていた屋根の修理をその間に行おうと決めていた。
汽車の旅の途中片足を戦場で切断し復員途中の兵士と一緒になる。かばんを持つのも不自由なその男を手伝って途中まで同行することにした。男の表情は暗く投げやりなところもある。途中の乗換駅の郵便局で男はアリョーシャに荷物を見てくれるよう頼み電報を打とうとする。しかしいつまでも帰ってこない。アリョーシャが見に行くと男は電報を書いたものの発信すべきかどうか迷っていた。電報は妻に自分の帰還を知らせる内容である。アリョーシャがせかすと男は「ほっといてくれ」という。男はアリョーシャに心の内を吐露するのだが、自分はやきもちを焼き妻に辛く当たっていた。妻はまだ若くきれいだからやり直すチャンスもあるだろう、自分がいない方がいいのではないかとも考える・・・とアリョーシャに語りかけた。とうとう汽車は発車してしまうが郵便局の女性にも説得され電報は発信された。
次の列車では周囲に陽気な乗客が集まり和やかになった。男は時折笑顔を見せるものの心は揺れていた。とうとう男が降りる駅に着きアリョーシャも一緒に降りて荷物を運んでいく。男は不安そうにあたりを見回す、ごった返す人ごみの中に目指す妻は見当たらない、ちょっと似た女性がいると松葉杖を捩じるように身を向けて見つめる、辺りに段々人影が少なくなっていく、男はうつむいてこの現実を受け止めようとする・・・が突然、甲高い女性の声が上がった。待ちわびた妻である。妻は人にぶつかるように小走りに走って夫に駆け寄ろうとする、が、近くまで来て夫の片足がない松葉杖の姿に一瞬たじろいだ。男の顔もこわばる、がそれも一瞬、妻は夫の下に駆け寄り固く抱きしめた。
「こんな体になったよ」、「いいの、これからはずっと一緒よ」二人は互いを確かめるように何度も抱き締め合った。
その姿を見て二人の未来を確信したアリョーシャは荷物を置きそっと離れていった。「どうやって帰ってきたの?」と聞く妻に「この若い兵士が連れてきてくれたんだ」と振り返るとそこにアリョーシャの姿は無かった。
この場面はまさに「幸せの黄色いハンカチ」のクライマックスシーンである。「あの若者には悪いことをした」男は笑顔でそう言った。ホームの二人の後ろ姿が遠ざかりこの短いエピソードは終わる。
山田洋次監督は多分この作品を1960年以降にご覧になってこのエピソードを軸に色々な要素を加味して「幸せの黄色いハンカチ」の作成に繋いでいかれたのではないか、というのが私の推測である。
今回の寄稿に際しネット検索・確認を行ったところ「幸せの黄色いハンカチ」は1971年に『ニューヨーク・ポスト』紙に掲載されたピート・ハミルのコラム『Going Home』をベースに、北海道を舞台に撮影された日本のロードムービーの代表作である・・・となっていたが私は信じない。
「誓いの休暇」が作られた1959年はこのコラムより12年も前で、このソビエト映画が時間的推移から見ても山田洋次監督に影響を与えていたと考えるのが妥当ではないだろうか?

2.映画「誓いの休暇」とは?

戦傷者と分かれたアリョーシャは軍用列車の貨車に潜り込み故郷へ向かう。しばらく移動するとやはり訳あってか若い女性がこの貨車に乗り込んで来た。この女性は若い兵士が先客にいることなどつゆ知らぬからアリョーシャに気付いたときは動転した。アリョーシャは軍服を着ているから咎められるという恐怖感もあったのであろう。戸を開き持っていた荷物を車外に放り投げ自分も飛び降りようとした。アリョーシャは必死になって止め仕方なく手荒い動作で引き留め車内に引き戻す。女性には緊張と敵対心が発生し身構えていたがやがてこの青年の誠実さ、優しさが次第に分かっていった。
次に停車した駅では戦争中のため交通機関がなく困った一般人たちがどうにか移動しようと荷物を持って乗り込もうとするが衛兵に「軍用だから地方人は乗るな」と銃で威嚇され身動きもできなかった。アリョーシャたち二人は貨車の藁の間に息を潜めて身を隠す。
次の駅で貨車は検問を受けた。若い男女がいるのを見つけた衛兵は降車を命じる。しかしアリョーシャは一時帰還の許可を受けている証明を見せこの女性は連れ合いだと説明した。それでも衛兵は聞かなかったがアリョーシャはとっさの機転で持っていた携行食糧を渡して見逃してもらう。
以後若い二人はすっかり警戒心を解いた。「自己紹介しよう・・・」と立ち上がって姿勢を正し名前を名乗る姿が微笑ましい。女性はシューラという名前だった。
食糧や衣類を入れた荷物を捨てたためシューラは飲み物もなく空腹だった。アリョーシャは自分の携行食を出してシューラに与えた。シューラは実においしそうに食べるがこの時の様子は次の3項で述べさせていただく。
さらに次の駅が来て停車した。喉が渇いたというシューラのためアリョーシャは降車して水を汲みに行く。駅構内では多くの一般人もいて戦況を告げるニュースが報じられていた。近くの戦線で村が放棄されたという報道があり皆硬い表情で聞いている。やがて訪れる爆撃の伏線でもあった。
アリョーシャは水を汲んで急いで戻ろうとするが列車は無情にも目の前で発車する。水も捨てアリョーシャは次の駅の方角を聞き通りかかった農民のトラックに頼み込み次の駅へ送って貰おうとする。
悪路にはまった車を押したり、エンストしたりしてやっと次の駅に着いた時は既に列車はいなかった。アリョーシャは途方に暮れ線路に立ち尽くす。・・・が上方の陸橋に逆光のシルエットが現われた。「アリョーシャ!」と呼んだのはシューラだった。駆け寄る二人、
「きっと追って来てくれると思っていた。」とシューラは弾んだ声で言う。水も飲まずに待っていたというのもいじらしい女心だった。
二人は豊かな水を供給してくれる水道から水を充分に飲み足や体も洗った。食べ物は乏しいながらも心は浮き立つ思いで並べたときアリョーシャはこの町が自分に軍用石鹸を託し故郷の妻に渡してくれと言った兵士の町だと気づく。
帰還途上ですれ違った部隊の兵士から妻への贈り物を託されていたのである。
シューラと二人で人づてに聞きながらやっと探し当てた家は被災しており近隣の子供の世話でやっと探し当てた。家では兵士の父を中心に一族が集まっていた。皆アリョーシャの親切に感謝し戦線の状況を聞きたがった。この一族の集合・団らんについても次の第3項で述べさせていただく。周りの人たちが困っているのを黙って観ておれないアリョーシャだが与えられた時間はどんどん少なくなっていく。

この町から列車に乗るのも一苦労だった。軍用優先のためシューラは乗車を認められない。アリョーシャ再び機転を働かせ自分の軍服のコートと帽子をシューラに着せて乗り込みを図った。咎められるが何とか二人で乗車を果たす。しかしそれは迫りくる別れの時間への道程でもあった。
満員の列車で二人は身動きもできない混雑の中で向かい合って立っていた。この時のシューラは本当に幸せそうでいじらしかった。アリョーシャのコートと帽子を全身で受け入れるような幸福感を表している。シューラの最も幸せな時間だったのではなかろうか?
しかしシューラが降車する駅がやってくる。名残も尽きぬ二人、ついに列車は発車する。シューラの住所を聞こうとして村の名前までは聞いたが後は聞こえない。シューラが答えるが周囲の音にかき消されてしまった・・・それでも走りながら必死に叫ぶシューラ・・・列車は無情に二人の距離を拡げていった。
ここでシューラの姿が描かれる。アリョーシャが去っていった列車の方向を何度も何度も振り返りながらシューラは去っていく。肩を落とした姿が哀しい。程なくアリョーシャが乗った車両は爆撃を受ける。兵士らしく乗客を必死に救出するアリョーシャだが、さっきまで話していた優しい女性も死んだ。疲労困憊してそれでも代替列車を待つが無情にも長時間来そうにないと知らされる。
あと10kmほどの距離である。列車は鉄橋で攻撃されたのだがその川岸に筏が見えた。筏に飛び乗って近道し道路に出て通りがかりの車に頼み込む。1台のトラックに断られたが親切な運転手は必死のアリョーシャの頼みに同情し通り過ぎた後引き返して来てくれた。
あと少しで我が家に着く・・・気付いた村人が母親に知らせに行く。アリョーシャは家に着いたが誰もいない・・・またトラックで移動する。母は息子が帰ってきたと聞き狂気のように家に向かって走る。倒れるように畑を走る母に気付いた彼は車から降りて母をひしと抱きしめた。村人たちも集まってきた。だがもう時間はない。屋根の修理はおろか何もする時間は無かった。母は愛おしむように息子をながめ抱擁する。親切なトラックの運転手もそうそう構っておれずクラクションを鳴らしてアリョーシャを急きたてた。
母を振り切るように帰隊のため出発しなければならないアリョーシャだった。「お母さん、必ず帰ってくるからね」トラックの上で母に叫ぶアリョーシャ・・・だが彼は再びこの道を帰ってくることはなかった。
母はこの一本道に立ち、愛する息子が手を振りながら走り寄ってくる姿を願って立ち尽くす。この映画はここで終わる。声高に反戦を叫ぶ事もない、当時のソ連の思想を語ることもない。
私は大多数のソビエトの人々、今はロシアの人々であるがこのような素朴な家族愛と隣人愛にあふれた人々なのだと思う。そういう人間の基本に忠実に沿って作られた作品がこの映画である。半世紀を超えてなお心に焼き付いた名作、アリョーシャもシューラも今も私の心に生きている。
この作品は1960年の「カンヌ国際映画祭最優秀賞」を受賞し、国際的にも高い評価を受けている。

3.「誓いの休暇」と山田洋次作品との共通点

皆さん覚えておられると思うが「幸せの黄色いハンカチ」の冒頭で出所した高倉健が食堂で真っ先に注文するのがビールと醤油ラーメンそしてかつ丼だった。この時のビールを飲む高倉健の表情と姿は日本映画の名場面に数えてもいいほどのものだった。
同様のシーンが「誓いの休暇」にもあった。シューラは最初アリョーシャと鉢合わせしたとき車外に食料と衣類が入ったバッグを投げ捨てた。つまり食べるものは何もないわけで時間がたつほどに空腹感は募る。アリョーシャはそんなシューラに自分が持っていた戦場用の携行食を渡し一緒に食べる。これを食べるシューラのおいしそうな表情は清々しい。
飲み、食べるという単純な行動の中にこれほど幸福感を感じさせるシーンは「幸せの黄色いハンカチ」と「誓いの休暇」の私が感じた共通点の一つだ。
また、家族が一緒に集まって和む場面もそうである。アリョーシャは帰還途上ですれ違った部隊の兵士から故郷の妻への贈り物を託され引き受けるがその町は被災しておりやっと探し当てた家では兵士の父を中心に一族が集まっていた。アリョーシャを歓迎し、話も弾む。この団らんと結束の姿もやはり「男はつらいよ」の柴又で見られる家族が集まった姿だった。
さらにアリョーシャに会うため必死に走る母の姿も山田作品で似たシーンがある。「男はつらいよ・第10作、寅次郎夢枕」で登場する母親役の八千草薫は訳あって息子と別々に暮らしているが仕事場に息子から電話があり近くにいると告げられると上着を着るのももどかしく血相を変えて飛び出していく。
この息子に会うため血相変えて走るシーンもそうだが、束の間会った後、息子が去っていくシーンは江戸川堤防の上の一本道で描かれており、これもアリョーシャの母がアリョーシャが乗ったトラックを見送る一本道であるという共通点がある。
私の想像であるが山田洋次監督はこの「誓いの休暇」から多くのインスピレーションを受けられてその後に作成されるシーンや構想に活用していかれたのではないかと考えている。「男はつらいよ」シリーズでも「幸せの黄色いハンカチ」でも。

<スクリーン憧子>

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